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パソコンで描いたイラスト

「これ、すごいね。」

 ひとをほめることをしない兄が一枚の絵を見ていった。
それはじぶんが古いパソコンのペイントツールで描いたもので、ピエロが闇のなかでなにかを絶叫するように訴えている絵だった。

 そのころの自分は、服用していた精神安定薬の乱用がたたって、つねに重度の二日酔いのような倦怠にさいなまれ、放散した意識のなかで焼けただれたようにあえでいた。

理由もなく、ひとを恐怖していた。

 なにか妖怪のこどもが一匹、人間社会の雑踏のなかにまぎれこみ、人間の積みあげてきた営為の一切になじめず過敏反応を起こしながら放浪している、自分が妖怪であることをひた隠しにしているのだが、端々にその痕跡は残っていて、ともすれば勘のいい者にばれてしまう、その実もうバレているのではないか-。そんな恐懼にさいなまれ、逃れることができなかった。

 絵を好きで描いたことはなかった。
地金が不器用で、学校で絵を描けといわれてまともに仕上がった経験がなかった。

-ほかの、才能のあるやつがやることだろう。-

 いつかこどもの頃、教室で、そうして作品を見事に仕上げてゆく同級の者をなにか祝福された者のように遠い存在として眺めていたことを思い出す。しかし、学校は別にして、自分の部屋の壁には、いくつもの絵が描かれていた。

自分の顔。

上半身はだかの男。

あいまいな色の無人の校庭。

川べりに座って背を向けている、鎖でからめとられた青年と短髪の娘。

冬の、夜の公園でぶらつく三人のこどもを、公衆電話のボックスが照らしだしている。

 誰に見せるつもりもなく、クレヨン、鉛筆、水性ペンで描かれたそれらの絵は、その頃の自分にとっての透明な体験の記録だった。
言葉で記録するかわりに、自分には記憶を絵として痕跡にとどめる習性があるらしかった。

そのペイントツールで、考えもなく黒い模様を描くと、それは目になった。そこからかたちを引き出してゆくと、ピエロになっていた。

 片隅でひとり黙々と動いていたあまり言葉を交わさなかった父に代わって、人の社会の風を感じさせてくれるのはこの年の八つはなれた兄だった。
すべての慾の前提に件の人間恐怖はあり、たとえそれが慾から生じるものであれ、学究から生じるものであれ、いかなる人間にしろ人と触れあうと自分の身体は拒絶反応を起こした。その限りにおいて、じぶんが人間社会の連携の中で機能する何がしかのものを人から受け取ることも、蓄積することも、慾でもって社会に食い込んでゆくことも、いずれにせよ、すべて不可能に思えた。その頃の自分にとって社会は、不可解な、じぶんから離れて閉じられた幕の中で行われているまばゆいサーカスのように思えた。その幕間から届いてくるかすかな光と嬌声をすこし離れた暗がりで感じながら、無意識に描かれた絵はピエロになった。
 そのピエロの絵を兄にほめられて、人間社会の幕内へと入り込む切符をはじめてもらったように自分は感じ、自分はその日から絵を描き始めた。
( 多数紛してしまった)