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付録;関心のないひとへ



 (じぶんの絵を見にきて少々おどろかれた方、あんまり福島で起きていることはわからない、興味をもってないなあ、自分には関係ないほかの場所のことでしょう、という方に以下の文は書きたいと思います。知っている方は読まなくていいです。)

 ちょっと、この質問を読んでみてください。

 1、日本には原子力発電所が54機あるのですが、もしまた大地震が起き、原発事故が起きた場合、あなたはどうやってあなたおよび、あなたの大切なひとの身を守りますか。

 もうひとつ、聞きます。
 2、身を守る云々という話をこうして今われわれに引き出させている放射能なるものは、つまるところ、どのへんがどう危険なのでしょう。

 色々な文章をあなたは今日読んできたかもしれません。
 しかし、この二つの問いの文章を、ちょっと今日一番の真剣さをだして考えてみてください。あなたの頭の中ですぐに答えが出るのであれば、これから下は読まなくてもかまいません。答えが浮かばなければ、読み進めてください。

 


 

(参考映像-崎山比早子氏講演(2011年9月23日/ユーアイ福井))

 

瞬時に死んでしまうレベル以前の放射性物質(低い放射線量の被曝、ということで低線量被曝、と云います)の人体への影響は、「いまだ不明」という段階で専門家の意見は一致しています。

 自分は、専門家ではないので、これを読んでいるあなたご自身で専門家である上にリンクを出した崎山久子氏の講演の映像を見てもらうことがいいと思います。それすらがめんどくさい、と思うなら、自分の与太説法にちかい以下の説明を読んでもらうほかない。ここから、崎山氏らの話から自分が理解している範囲のことを書いてゆきます。
 
 放射線というものは正式には"電離"放射線と云います。光線です。

 α線、β線、γ線、x線、中性子線、それぞれ届く距離、透過力により区別の違いはありますが、その名称からわかるように、これら放射線が当たると、遺伝子の塩基連結の鎖が電気的に分離分断させられます。遺伝子が切れちゃうんです。この能力を放射能、と云います。
 分断された遺伝子は、生体防御反応で自己修復されるのですが、その分離のされ方があまりにも細かく分断された場合、分断以前のかたち通りには修復できない事態が起こります。不完全な修復が起こることがある。不完全ながらも遺伝子は遺伝子であって、忠実にその不完全な状態を複製してゆくのですが、各組織の設計図である遺伝子に異常があると、当然、異常な組織が形成されてゆく。もう身体が出来上がっている大人ならば、言い方はおかしいですが、まだいい。それが身体を形成するまさに過程にある胎児に生じると、奇形や、未形成に至ります。胎児までいかないまでも、身体をやはり形作る途上にあるこどもは細胞分裂をさかんに繰り返します。言い換えれば、傷ついた遺伝子が複製される度合いが、おとなの比較にならないほど多いのです。こどもになればなるほど、放射線は身体に悪影響を及ぼします。また遺伝子は、子孫に忠実な複製として遺伝してゆきます。つまり、個人の枠を超えた障害を産む可能性になるのです。

 そうした異常箇所をかかえた遺伝子が二つ以上あると、異常に形成される組織が癌になる可能性が高まります。遺伝子損傷の割合が多ければおおいほど、その可能性は高まります。血液の癌になれば、白血病になり、これはこどもも当然ですが、おとなもまったく同じです。原発ではたらく作業員の方には白血病を発症する方がすくなくありません。そうした作業員の方が、年に5ミリシーベルトという値の放射線を浴びたと認定された場合、労災がおりた例があります。5ミリシーベルト、というのは、全身六十兆個の細胞の核、すべてに5本の放射線が平均して当たった、ということを意味します。(この年間5ミリシーベルトというのを覚えておいてください)
 
 いずれにせよ、放射能の危険性は、遺伝子分断を起こすこと、その修復過程であやまった遺伝子情報をもった細胞がうまれることがあること、それが癌や奇形につながることがあること、その誤修復は、放射線を浴びれば浴びるほど生じる可能性が高まることにあります。
 しかし、これはどこまでいっても、「可能性が高まる」話なのです。
 免疫がつよいひともいれば、弱い人もいる。万人に、同じ状況で同じ症状がでるわけではない。そういった意味で「確実なことはわからない」のです。しかし、原理上、安全であるはずはないのです。それが現代医療の低線量被曝の合意点なのです。
 
 われわれは、日ごろ、ひそかに背後から特殊な拳銃によるロシアンルーレットの引き金を押され続けているのかもしれません。
 映画の中で見るそれは通常六分の一の確率。
 しかし、その引き金を引く存在がだれかは別にして、我々につかわれている拳銃は、巨大な装弾装置を持っている。六十兆の弾をこめられる拳銃なのかもしれません。3.11以前、60兆分の一の唯一つの穴に実弾がこめられていたのですが、放射線の影響は、そこに確実に弾を足してゆくことに似ているのだと思います。
 「確率が増えてしまうこと」それが問題なのです。

 

 

 放射性物質は、天然のものと人工のものの二種類があります。

(参考資料-福島原発事故で出た放射線核種-(国分寺ガイガー))

 

 花崗岩、バナナ、それらも放射線を発しますが、長い進化の中で人類は身の回りのそうした天然放射線源に対応する機能をからだに備えてきました。
 たとえカリウムを経口摂取したとしても、そのまま便になり身体の外へ排泄されてゆきます。オーストラリアは地質的に花崗岩が多いことで知られます。しかし、その土地に古くから暮らしてきたアボリジニの人たちと、時代がだいぶ下ってオーストラリアに移り住んできた白人とは癌になる確率がまったく異なる。アボリジニのひとたちは癌になりづらく、ヨーロッパをはじめとする別の大陸から来たひとたちは癌になりやすい。自然環境に耐えうる機能を長い年月をかけてアボリジニのひとたちは身体に備えてきました。しかし、原子炉の中で核反応によって人工的に生み出される放射性物質に対しては、われわれは無防備です。自然の中になかったのですから。
 数百種あるというこれらの人工放射性物質は、おのおの個性があり、自然界の物質と似た構成の物がある。
 人間の体はこの未知の物質を、天然の物質と間違えて取り込むのです。ヨウ素は、海苔、海藻類に含まれます。甲状腺に集まる性質があります。人体は、このヨウ素を処理するのとまったく同じ処理の仕方で、人工放射性物質のヨウ素131を取り込み、ヨウ素131は甲状腺にとどまり近距離高密度で放射線を発し続けます。セシウム134、137は、筋肉、とくに心筋にとどまる。ストロンチウム90は骨髄に蓄積されます。こうして各部位に蓄積した放射性物質は、それぞれの個性にしたがって一定期間身体の中にとどまりやがて減衰し、消えるまで、ストロンチウムの場合は50年ものあいだ、骨髄から放射線を発し続け遺伝子分断の可能性を高めることになります。逆にβ線を放射するヨウ素131、137はごく短い日数でエネルギーを使い果たし、消えてしまいます。消えてしまったら、ダメージだけが残されます。計測することは困難です。
 

 こまかい話になるのですが、前述したようにすべての放射線にも違いがあって、α、β、γ、xなどその個性により分けられています。
 
 鉛の板か水で遮るほかない貫通力をもつ放射線をx線、γ線といいます。
 レントゲン業務従事者は、レントゲン撮影をする場合、鉛で遮蔽されたとなりの部屋にわざわざ閉じこもり、シャッターを押します。それはx線をあびることで遺伝子分断の起こる可能性をさけるためです。
 原発事故後、放射能汚染の中心的な物質としてこのγ線をだすセシウム、という物質が取り沙汰されました。γ線は、上述のように鉛、水でさえぎる以外、からだを貫通し、通り抜けてゆきます。しかし、この射程距離の長さが手に持った計測機での検知を可能にします。一般的なガイガーカウンターはもっぱらこのγ線がどれだけの割合で存在しているのかを計測します。このセシウムは、細かいことはここでは省きますが、環境にばらまかれた場合、30年経つまで放射する線の量は半分になりません。呼吸したり、汚染された食べ物を経由してからだの中にはいった場合、100日経つまでやはりエネルギーは半分になりません。筋肉に留まって放射線を発し続け、遺伝子分断の可能性を高める。チェルノブイリでは、事故後大気中にセシウムがばらまかれ牧草に付着しました。その牧草を食べた牛の肉、牛乳にセシウムが移り、それらを食べたこどもから癌が多発しました。牛乳、牛肉、米。主食ともいえるこうした食べ物をわれわれは毎日からだに摂りいれます。これらの食材がひとつひとつはそこまで汚染されていなかったとしても、100日は残留するわけです。小さな汚染が積み重なってゆく。遺伝子分断の可能性が断続的に、かつ加算的に高まってゆく原因になります。
 また今問題になっているのは、このセシウムにも残留する長さの違いで二種類があって、二年半で半分に減衰する種類のもの(セシウム134といいます)が減り始め、70年代に行われた原爆実験後に残されたもの(セシウム137といいます)と福島第一原発事故によりばらまかれたものとの区別がつかなくなることがあります。分からなくなれば、現在の汚染が2011年の事故によるものとも言えない、そんな風にごまかされてしまう可能性があることです。

 逆に貫通する力は弱いものの、逆に言うとごく微細な近距離ですべてのエネルギーを使い果たすものがα、β線です。
 透過力の弱い線は、くりかえしますが、簡易的な計測器では測定できないほどの射程で集中的にすべてのエネルギーを発散する。そして8日ほどで消えてしまうものがある。体内に取りこまれた場合に、細胞の遺伝子分断をより集中的に行い、しかもあまりに放射線が飛ぶ範囲が狭いためにとても検出しにくいという厄介なものがこの近距離放射線と言えるようです。この簡単には測定できない強い線であるβ線をヨウ素、ストロンチウムは発します。
 
 いずれにせよ、放射能事故が起きた場合、まず第一に行うことは「風向きを知り、風によって運ばれる放射性物質の届かない場所に一月半でもいいから退避する。」この1点でした。
 前述したごく短期間で消えてゆくヨウ素、長期間とどまり続けるセシウム137、いずれにせよ、事故直後は放射能を含んだ大気が通過した場所、通過して雨の降った場所にはすべての物質がもっとも活発な状態で併存するのです。自分のまわりにいたスイス人、ドイツ人、彼らはこの高濃度の第一波をやりすごすために国外へ逃れました。そして4月の中頃にはもう東京へもどるなり、東北へ行くなり、警戒はしていたでしょうが一段緊張をゆるめていました。
 
―ファーストインパクトをやり過ごすこと。―
―大気中に高濃度で含まれる放射性物質をからだに入れないこと。―
 
 このことが、細胞分断の頻度を減らすまず第一対策であった、そしてもしまた同じような事故が起きたらまず行う第一原則であることを覚えていてください。
 
 次の段階です。
 放射線の被害が確率的に生じるとして、大気にまじった放射性物質を呼吸で吸い込むこと、肌に浴びることとはまた別の経由でその確率を増加させる被曝原因がありました。
 食べ物です。



 汚染された食べ物を食べてしまうことによる体内の放射性物質の蓄積は、前述した遺伝子の誤修復が発生する可能性を上昇させる原因になります。

(参考資料-日本からの食品に対する諸外国・地域の規制措置(平成24年12月6日)(農林水産省))

 

牛は牧草を食べます。
 放射性物質は風に流されて地面に降ります。
 
 そうして放射性物質が吸着した牧草を食べた牛の肉に、セシウムが溜まります。牛乳も然りです。海の底に住む魚は泥の中でプランクトンや藻を泥混じりで食べてゆきます。海に原発から放射性物質に汚れた水が大量に投棄されたことで、海水と、海藻が汚染されました。それを食べる魚に汚染は移り、骨や、内臓にストロンチウムなどが蓄積しました。水田で栽培される稲も、やはり降下した放射性物質を根から吸い上げ、セシウムを溜めてゆきました。
 そうした牛肉、魚、常食である米を食べることが、からだのなかに放射性物質を加算的に溜めこむ原因になる。

  白米を炊いて、水を飲み、牛肉のステーキを食べる。つけあわせはほうれん草のバターソテー。味噌汁にシイタケをたくさん入れて、ワカメも入れる。ヒラメの刺身も旨い。鮎の塩焼きも食べたい。生卵も食べる。水菓子は、桃にしようか。そして牛乳を飲む―。
 すべてが汚染された食品だった場合、このすべての食品から放射性物質が加算的にからだに入ってきます。
 確率を下げることが防御の前提であることは書きました。しかし、食が、その確率を上げてしまう原因になるのが第二段階の危険です。自然が汚染されることは、食が脅かされること、そして人間が脅かされること。そのことを食の汚染は如実に知らせました。「ワタシハ、レストランをタノシミタイ。」それまで日本の魚料理を愛していたドイツ人の連れは、そういって日本を離れると言いました。




 
参考映像-群馬大学早川由紀夫教授 参議院院内集会での講義映像抜粋;完全版 (OPK)

  

本来ならば、汚染された場所を計測し公表し、そこで収穫された食物の汚染も事故以前の基準に照らし合わせて計測し、基準を上回った物は国がその分を補償して1か所に捨てる、事故後は行政、国が農家にやはり相応の補償をして栽培を控えさせるべきでした。逆に農家がそうするように国、行政に働きかけるべきでした。また国は汚染を生みだした東電を解体し、その費用を捻出するべきでした。

 しかし、そうはなりませんでした。

 まずどこがどれだけ汚染されるのか、風による放射能拡散予測をする為に3.11以前に巨額を投じて作られた文科省管轄のシステム(SPEEDI、と言います。)のデータを日本政府は米国政府に要請され提出します。
 しかし、日本の国民には知らせませんでした。
 計測していたこと、その存在が明るみに出たのは、米国が福島第一原発からの放射能拡散についてまとめたデータを世界に公表してからでした。その詳細な計測は、日本の政府が国民に伝えようとしなかった件のSPEEDIのデータを基にしていたのでした。
 そして実際にどれだけどこが汚れているのか、この事も国はなかなか分かりやすいかたちで周知しませんでした。
 
 この状況に対して、群馬大学の早川由紀夫教授が自身の火山学で用いる飛灰測定の方法を用いて、ごく初期に個人で各地を測定して回った一般の方々の情報、各自治体がそれぞれ公表していたデータ、自身の足を使った測定を精査して纏めた放射能汚染の網羅的な地図を作りました。その地図ではじめて、実際の放射能汚染がわかりやすいかたちを得た仕事でした。放射能は目に見えません。においもしません。味もありません。人間には関知できないが、そこにある害をなすもの。その図は、巨大な蛸が、日本の腹に食いついているように見え、それを視覚化したことは、どこか絵師の仕事の究極的なかたちに思えました。そこで明らかになったのは、原発から離れた福島市、郡山市の深刻な汚染、そして意外な場所の汚染。千葉の柏、松戸、東京都の東葛、岩手一関が汚れていたという事実でした。
 つづいて国は、食品にふくまれる放射性物質の基準(ベクレルという、一秒間に放射線がどれだけ出るかの値で表されます。食べ物ならば一キログラムあたり、土壌であれば一平方メートルあたりで表示されます)を、事故を理由に大幅に緩和しました。水を例にしますと、事故以前のWHO(世界保健機構)の規制値の30倍。
 この時点で、食の安全性が損なわれました。また事故後も、汚染地域での栽培と収穫は続けられ、さまざまなルートで流通しました。予防原則に基づいて正確な計測が行われていればよかったのですが、ずさんな測定方法、緩和された基準すらも超える汚染作物がでたこと等、もともと信頼の崩壊した食への不信は歯止めを喪いました。福島では、その危険を周知することなく、いたずらに地産地消を喧伝し、公立の学校給食に率先して汚染された可能性の高い食べ物が使用されました。
 
 ―こどもと女性を優先にまずひとを逃がす、汚染された食べ物を食べさせない―。

 これが、喫緊で行われるべき対策だったのですが、事態はむしろ、逆に動きました

参考映像-2011年7月22日対政府交渉 in 福島〜「避難の権利」の確立を求めて (save child)

 

 行政は福島県民の権利を認めず、放射能について知らぬ住民は福島から逃れる者を糾弾する、給食を食べない児童を教師が責める。被曝の危険性を軽視させる言説を唱える学者を福島各地で講演させる。そこで展開したのは、腐敗したおとなたちの愚行でした。
 こうした現地での地産地消、日本国内で汚染食品の危険性を報道しない状況の一方で、世界の国々は着々と国民を予防するために東北を主とする日本からの食物の輸入を停止しておりました(pdf)。
 それは、今にいたっても継続しております。それは食べ物からの被曝を避けるための処置なのですが、一番はじめに書いたように、これらの被曝の影響は、不確定なのです。個々人によって影響の出方はちがう。免疫の強い人間、弱い人間、それぞれの個性によって疾病になるかならないのか決まってくる。原爆後の広島で育ち、なんの問題もなく年を経てきた方もいるでしょう、しかし、皆がそうであるとは言えないのです。逆もまたそうです。だれしもが癌を発症するわけではない。

 ―確定的なことは言えないが、あぶない。―

 これが、国際的な意見の総意であるはずでした。
 この被曝予防について、さまざまな意見の相違が事故後生じ、分断を産みました。しかし一貫して、今にいたるまで二本の主要メディアが時間を割いて真剣に伝えないことがあります。


 現在の日本で流布している通念に疑問を呈する発言を繰り返し、テレビタレントとして色眼鏡で見られ、放射能汚染の危険性について話したために番組を降板させられた中部大学の教授武田邦彦氏は一貫して被曝対策と原発の問題をブログに書いております。
 この件に関して、2012年9月26日付のブログで書いておりました。
 1992年、リオデジャネイロのサミットであるいくつかの国際的な取り決めがなされました。その第15原則リンク)にはこう書かれていました。

 Principle 15
 In order to protect the environment, the precautionary approach shall be widely applied by States according to their capabilities. Where there are threats of serious or irreversible damage, lack of full scientific certainty shall not be used as a reason for postponing cost-effective measures to prevent environmental degradation.

 ―原則15―
 環境を保護するために、予防的な手段がひろく適用されるべきである、その国の能力に応じて。深刻かつ、とりかえしのつかない被害の脅威がある状況下においては、十全な科学的確実さがないことが環境悪化をさけるために対費用効果のある対策を後延ばしにする理由としてつかわれるべきではない。

 つまり3.11後の日本で言いますと、被曝についてその被害が「科学的に不明であったとしても」、被曝をさけるうえでの予防的な対策を国はとらなければいけなかった、ということになります。
 この原則に、1992年、日本の政府は合意しておりました。
 日本が、被曝に対して適切な対策がとれないほどまずしい国だとは、自分には思えません。この一点で、被曝をめぐる国、行政の対策の不備は論じる必要がないほどあきらかだと思います。
 3.11事故直後、テレビに枝野幸夫大臣が現れ、『ただちにみなさまの人体に影響はございません。』と公式に声明を発表をしました。この瞬間から、日本は国際的な基準から明確に脱落したと言えると思います。野田総理大臣による事故収束宣言も、原子力緊急事態宣言が撤回されていないなか、発表されました。2012年11月の現在にいたっても、いまだにこの緊急事態宣言は撤回されておりません。閣僚がそうした宣言をし、テレビメディアはそこに追随し、3.11直後から変わらずに、それ以上に被曝の問題についてくわしくは報じようとしない。それが、「日本の対応」でした。



 
 また、年間にどれだけの放射線をあびてもよいかという年間被曝限度の基準についても、武田邦彦氏が6月13日のブログで重要な指摘をしておりました。

 それまで年間1ミリシーベルトに制限されていたのが20ミリシーベルトまで緩和される、そのことがさかんに焦点になりました。
 その変更を許容する医師がやはりテレビに幾度も現れ、また巷間でも、この基準についてさまざま意見の分断が生まれました。この問題でも、一貫して報じられなかった原則がありました。それは、この1ミリシーベルトという基準は「原発から浴びる量」であって、前述した自然放射線源から年間に浴びる量、1970年代にさかんに行われた核実験後から残留している放射性物質から年間に浴びる量、レントゲン、CTスキャンなど医療から浴びる量、この四つの被曝源トータルで年間5ミリシーベルトの被曝量の兼ね合いのなかで定められていた値だった、ということでした。
 これらの被曝は、医療被曝の場合は治療行為を受ける利益と引き換えに、原発由来の被曝の場合は原発から電気をもらう利益と引き換えに、自然放射線と核実験はこの国に住む限り逃れ得ない数値として、仕方なく、定められていたのです。3.11事故後の20ミリシーベルトへの緩和には、被曝しても引き換えになる利益がありません。レントゲンと比べたら心配する値でない、飛行機でニューヨークに行くとどれだけ被曝するのか、これらすべて利益のある被曝と比べること自体にトリックが仕込まれていました。
 この数値引き上げをごまかす多くの言説がテレビにあふれました。しかし、それらはこの原発事故による被曝にはなんの益もない、この一点で意味のないものでした。加えて、医療従事者は医療被曝について意見を言うことはできますが、原発被曝についてはもとから管轄外であり、口を挟むことが元々できない立場にありました。しかし、事故直後、こうした原則を伝えることもなく、胸のレントゲンでの被曝と比較して危険性を曖昧にする言説を話す専門家をテレビは登場させ続け、無用な混乱を醸成しました。

 その値は、一年でこどもに胸のレントゲン撮影を400回行う値だったのです。
 
 くりかえしますが、この400回のx線撮影には、疾病や故障箇所を発見するなどの撮影する理由がないものです。例に挙げる時点でこれも意味がないものでした。
 テレビメディアのこうした報道は、きわめて悪質であると思います。この絵画の一段階ではテレビは描きこまれていませんでした。しかし時間が推移すればするほど、重要な論点を報じない、関心を向かわせないようにしているとしか思えない悪質な放送が続き、描かざるを得なくなったのでした。





 原発がなければ2012年の関西電力管内の電力が不足する、夏はやりすごせない、だから大飯原発をうごかすのだ、こんな理由から2012年6月16日、政府は関西電力大飯原発の再稼働を決定しました。

 7月5日に送電を開始した大飯原発でしたが、実相はどうだったのでしょうか。
 この件に関しても武田教授は夏をのりきった9月10日のブログに書いていました。

 ―原発なしでの関西電力の電力供給量は最大で2500万キロワットで、原発をうごかした結果3000万キロワットまで供給量が伸びました。この結果、2700万キロワットが必要だったこの猛暑をみなさんの節電の協力もあり切りぬけることができました―。

 こう関西電力は説明したと言います。
 しかし、原子力の専門家であったた武田邦彦氏は大飯原発3号機、4号機を稼働して得られる電力は、最大で230万キロワットであると書きました。
 ここに詐術が忍び込ませてあるというのです。
 3000万キロワットから大飯原発の発電230万キロワットを引いてみると、2770万キロワットになります。この原発からの電力を差し引いた供給量は、夏に消費された2700万キロワットを上回っていたのです。
 元々、原発を再稼働させるために建設途中であった火力発電所の建設を関電は中止していました。

 ―ほんとうに、電力源として原発は必要不可欠なのでしょうか―。

 東京でも、電力使用を抑えるために節電する、そんな風潮が公的な場に蔓延しておりました。自分は、たいして勉強もしていないしろうとです。しかし、原発がなければ電気が足りなくなる、そう喧伝されていた夏の関西圏での電力事情の結果を、テレビや新聞は検討報道したのでしょうか。その検討は、とりかえしのつかない災害をもたらす装置ともいえる原発の是非を考えることに必然的にいたるはずです。しかし、この問題についての報道は、皆無でした。
 そして、福島現地での被曝をめぐる状況に関しても、報道することはありませんでした。
 この絵に第二段階の修整を加えるにあたって、じぶんは、大手テレビメディアを象徴する七つのテレビを描きいれました。それらは巨大な心臓から伸びる人造の動脈に連結されています。共犯関係にあるということです。


 

 
 そうした報道の外側で、福島現地では被曝問題をめぐる苦闘が続いておりました。

 最も初期の段階では、本来ならば事故を起こした福島第一原発の所長がまず地元消防に連絡し、国と連携をとって放射性拡散予測データを元に、風向きを考えた避難を促すべきでした。
 その間にも、ごく短期間の8日ですべてのエネルギーを放出するヨウ素被曝に対して、原発からの同心円状の距離に従うのでなく、放射性物質が風に乗って到達すると思われる予測に従い、地域のこども、女性を優先してヨウ素剤の服用をさせるべきでした。自分と近しかったドイツ人が自分に、周りのドイツ人が海苔を食べている、そう話し、じぶんにも勧めました。原発由来のヨウ素が甲状腺に溜まる前に、自然ヨウ素で満たして残留放射能を防ぐ策でした。
 しかし、福島ではそうしませんでした。ごく近距離の大熊町、双葉町などいくつかの住人にはヨウ素剤は配布されたらしいのですが、福島市、郡山市は無防備でした。事故直後、地震と津波によるインフラの破壊もあって連携を取ることは難しかったのかもしれません。
 しかし、原発付近の立地区域だったならば、こうした過酷事故を想定した準備がなされ、それに従っていれば、被曝はもうすこし避けることが出来たのではないでしょうか。
 
 しかし、ここにこの事態の根本的な問題が潜んでおります。

 ―事故が起きることを想定していなかった―。
 ―原発が事故を起こすはずがない―。
 ―それほど巨大な地震も、それにともなう津波ももう来るはずがない―。 原発立地地域には、こんな稚拙な前提、悪質な前提があったのでした。
それは立地地域にかぎらず、日本の全体がそうであったとも言えます。この前提が、事故を想定した避難訓練、被曝を避けるための緊急的行動訓練を妨げていたのでした。電気も、水道も断絶したなかで、子供連れで水を汲みに外で順番を待っていた方もあったと聞いております。そんな住民の方々の念頭から、初期被曝の問題は構造的に抜きとられていたのでした。


 

 原発から20キロ圏は立ち入り禁止区域になりました。

 農家の方々の多くは、牛や、馬、豚、鶏、家畜を置いて逃れ、今にいたっても仮設住宅を転々としています。
 残された家畜たちは、せめて餓死しないようにと戒めを放たれて、自然に還ったかのように群れを作り、自由に歩いておりました。またその一方で、鎖につながれたままの牛、馬、豚たちは、無惨に餓えて、死にました。
 福岡で情報を集めていると、20キロ圏内の厩舎で死に、虫を湧かせて腐る牛や馬の写真を見ることがありました。
 むごい写真でした。
 鎖を解かれて生き伸びた家畜も、人間と同じように遺伝子に傷を負い、生殖に問題をかかえているでしょう。当初絵のなかにはインパラの群れが描かれていました。それは20キロ圏内で意図せずして人のない自然が現出したことをうけ、ある種のたくましさを感じていたからでした。しかし、第二段階での修正で、やはりじぶんは供養をかねてそのインパラ達を、家畜たちに描きかえてゆきました。山の動物に描きかえてゆきました。



 警戒区域外の福島市、郡山市も、上述のように汚染されておりました。

 初期被曝には無防備で、しかしそれ以降の対応がさらに被曝をすすめました。
 福島県の県庁があり、経済の中心をになうこの二つの市からひとが消えることを避けたかったのでしょう。県知事の要請に従い、被曝の危険性を軽視させる言説を語る大學教授があちこちで講演を開きました。原発で働く労働者が年間5ミリシーベルトの被曝をして白血病になった場合、労災認定がおります。これらの医者は、100ミリシーベルトまで健康被害は出ない、そう説いて回りました。また、郡山市では、町のあちこちに空間の放射線量を計測する測定器を設置しました。その測定機には、国際規格で認められた米国製の計数管が組み込まれていました。その計測器を納入した業者に、国の役人はこう伝えたと言います。

―これより三割低く値がでるように作り変えろ―。

 そう言われたその業者は、憤慨し、最初に設置した測定器をそのまま放置しました。その代わりに、国の要請に応じた測定機が納入され、町のあちこちに二つのソーラーパネルのような測定器が並ぶという風景が生まれました。
 また、事故直後の被曝は、被曝の原因となる物質のいくつかが身体から時間を経たずに消えてしまうので、被曝した結果もし疾病が生じたとしても、その原因を特定することが難しくなります。
 そのごく初期の段階でどれだけ被曝したのかについてのデータを、市民団体が提出するよう求めるに至りました。
 初期被曝のデータを、福島県は汚染程度のひどい場所にしぼって調べていました。(参考資料 pdf)しかし、県はかたくなにこの資料の結果のデータを住民に知らせようとしないのでした。もし、健康被害が出た場合、原発事故によりどれだけ被曝したのか、このデータはその因果関係を証明する鍵になります。また、それ以上の被曝をさけるうえで避難、疎開を求める決定的な証拠になります。このデータについて、そして初期被曝の行政の対応についてもっとも鋭く問題を唯一追及したのは、研究者でもなく、市民運動家でもなく、大きなテレビや報道ジャーナリストでもない、かつて放射線医学を勉強していた吉本興業所属の漫才師の夫婦、おしどりでした。