「滝つぼ;日記捨てるひと」

(未発表)

1200×920mm

2004

六年生の、

夏のさかりだった。

 

解散まぎわの教室に、

窓から巨大なオニヤンマがはいってきた。

おれは狂喜して、

同級生に言って窓を全部閉めさせ、

親へ渡すわら半紙のプリントを配ったり、

明日までにすることなどを話す教師などそっちのけで

悠然と飛ぶヤンマを隅に追い詰めて、捕った。

学校が終わって、

夏の陰翳の濃い玄関の石段に腰かけて、

びくびくと振動する透き通ったおおきな翅を指で挟んで

電気仕掛けのような威風を発散するオニヤンマに

見入っていると、

ジンが

「ツボちゃん」

「今日、虫採りにいかねえか。」

声をかけてきた。

 

 

ジンは、

29の春の日に自殺した、

色の白い、

おれの友だちだった。

サッカーにしか興味のないおれとはちがい、

文学志向の強いやつだった。

趣味も志向もまるでちがうのに、

おれとジンは

いつしか友だちになっていて、

夏になると、

山沿いの橋へ、

よくふたりで虫を捕りにでかけた。

 

 

 

 

 

 

 

11時、

ジンのおとうさんが車で家に来て、

でかけた。

 

寺町のスポーツ用品店のある角から西へ曲がり、

安勝寺の暗い門の前を通り、

道なりに行く。

人家の間を抜けて

喜多方プラザわきの市民プールを過ぎるころになると、

町の灯りがまばらになり、

闇が濃くなるのだった。

後部座席の窓を開けて

顔を出すと、

町中よりもいくぶん冷えた夜の風が

かたまりとなって

ぼん、と顔に飛び込んできた。

先のほうに、

山の影が

そう遠くないところにぼつねんとひかえているのが見え、

手前には、

車道のすぐ外側から広がる

水を張ったおおきな田が

はるかむこうのほうまで整然と並んでいて、

夜の中で佇んで、

流れていった。

その道をしばらく行くと、

その田の水源である

濁川の橋が

暗いオレンジ色の電灯に照らされて

先に見えてくるのだった。

濁川は

飯豊山から生じる、

田付川よりも太い川で、

やがて日本海へとそそぎこんでゆく阿賀川に

慶徳の先で合流していた。

かつては加納銅山の坑毒が流されて、

流域に深刻な被害をもたらした川だった。

その坑毒で濁った川の様から、

「にごり川」

というのだった。

そのころはそんなことにも気付かず、

おれはテルちゃんとトッちゃんとで

盗んだヤスを手に

おおきな堤防のせきとめるへどろのなかで

泳ぎ回ったり、

流れの強い下流へゆき、

溺れ、

すんでのところで助けられたりしていた。

橋の手前の葦の茂る草むらにジンのお父さんが車を停め、

ジンとふたり、

外に出た。

 

 

 

 

ぬるい風がそよいでいた。

川の流れる音がしていた。

川のにおいがした。

無数の夜虫がすだいていた。

蛙が啼いていた。

橋にはオレンジ色の電灯が首を垂れるように立っていて

向こう岸まで同じ格好をして連なっていた。

見上げると、

そのオレンジの光の中を

さまざまの虫が

からだをぶつけあいながら

むすうに飛び交っているのだった。

道のまんなかの、橋の中ほどにゆく。

車通りはほとんどなかった。

車道の脇にあいた排水溝のあたりに、

ゲンゴロウに似た甲虫のガムシや

カナブンがいることが多かった。

 

「あ、クワガタ。」

「雌か。」

 

ジンが、

先のほうの橋の真ん中でつぶやいて、

かがんだ。

ふたりで、

そんなふうにつぶやきながら、

オレンジの光のしたで

てんでに足下を見てぶらついて歩くのだった。

なにかをお互いが見つけると、

ふたり集まって、

額を寄せあい、

見つけたその虫が気に入ると、

お互いが肩からぶらさげた

きみどりのプラスチックの虫篭に

入れるのだった。

ジンに近づいて

覗いてみると、

ジンの伸ばした左の人さし指のなかほどに

漆黒の小振りな雌のクワガタが、

しがみついていた。

並んで、屈み、

ふたりでものも言わずに

繊細な爪で指に留まるクワガタを

しばらく見ていると、

黒光りする雌のクワガタは

物音の止んだのを感じたのか、

上体をすこし起こし、

そして上をめざし、

伸ばしたままのジンの指をよじ登っていった。

つぶらな目のわきに、ひらかれたちいさな触覚がゆれていた。

指の頂点にたどりつくと、

クワガタは

パラフィン紙のような茶色の羽をはみださせて

外翅をむくむくと動かしはじめたかとおもうと、

ぱ、と羽を割り、

そして

飛び去った。

 

「あ」

 

オレンジの光りのなかから、

橋の外の、

ごう、と川の流れる闇のなかへ

飛び去っていったクワガタを

ふたりで

見送った。