「多様性の樹3-桃色」

98×90mm

2006

ポストカード化

 

夏の、はじめのことだった。

晴れた日だった。

ヨシオとふたり、

喜多方の、市役所前にあった名も覚えていない駄菓子屋にいた。

その店の隣はたしか魚屋で、どうやら同じ家主がやっていたらしく、

駄菓子屋のたたきにもなにか水気のする魚のにおいがしていたようにおもう。

日陰の店の棚に、こまごまとした駄菓子がおびただしくならんでいて、

そのなかに、レモンやらピンクやらメロングリーンの蛍光色のジェル状の菓子があった。

30cmくらいの、やたらに長ほそいビニールに入ったそのジェルを食べるのがそのころの

なんということはないふたりの流行りになっていて、

中河原の、裏道の満福寺前にあった名もないやはり駄菓子屋にニ台だけ置かれていたゲーム機の、

ストリートファイターというアーケードゲームをひとしきりやってから

その店にやってきたのだった。

一本30円かそこらのジェルを、ふたりで二本ずつくらいすすった。

みな同じような、安っぽい甘い味だった。

すすって、抜け殻になったビニールの殻を店のゴミ箱に投げ捨てて、

ふたり、自転車に乗った。

おれの金は、おやじの貯金箱から盗み出した金だった。

 

ふたり、中学のニ年になっていた。

はじめて知り合ったのは小学校の五年で、クラス替えのあった年だった。

ヨシオはそのクラス替えでおなじ組になったうちのひとりで、

御清水の、仕出しを兼ねたレストランのひとりむすこだった。

端正な顔だちの、鷲鼻の、髪のきれいな少年だった。

耳に、障害があった。

生まれついての難聴で、補聴器をいつも左の耳にしていた。

 

晴れた、ほこりっぽく、どこかむなしくなるような市役所前の通りを

商店街の方にむかって自転車でゆく。

先の駄菓子屋からすこしいったところを左手にまがってゆく。

なんということもない民家が両側にしばらくつづくと、左手に、夏の水田。

日射しのなかで青い稲の葉が草いきれを発して、もくもくと揺れている。

その左手の稲田のひろがりのむこうは水源の田付川にのぞむ土手になっており、

登ってゆく勾配の背景に、初夏の青空が耀くようにひろがっていた。

頭上に、飛行機の飛ぶ音。

光が、ちりちりと溢れていた。

 

稲田のわきをぬけ、

正面の、第ニ小学校の裏手の生け垣の前へ出てみると、

小学校の校舎が解体されていた。

巨大なショベルカーと、恐竜の頭のような形をした重機が、

あらあらしく校舎を食い、崩している。

 

「おい」

「ヨシオ。」

 

「ぶっこわしてっぞ。」

おどろいて、ヨシオに言った。

 

「なあ。」

 

ヨシオは、なにか眩しいような目つきでおれを見て言った。

 

われわれが卒業した二小は、築30年を過ぎた、古い木造の校舎だった。

四年か五年の頃、その30周年のお祝いをした覚えがある。

夜、学校を解放して、

暗い教室を使って上級の者がお化け屋敷やらを生徒主催でおこなっていた。

その教室の闇のなかで、紙の仕切りのむこうから、無数の手に足首を触られた覚えがある。

校庭で、花火を放った。

パラシュートが飛び出す花火の、その打ち上げた後に夜空から下りてくるパラシュートを、

ほかの生徒と、砂を蹴って奪いあった覚えがある。

中学に入ってから二年後、

その木造の校舎を解体し、白亜の、鉄筋コンクリートの校舎が建設されるらしいことを

聞いていた。

その解体がはじまっていたのだった。

 

 

ヘルメットをかぶったおとこが、ホースから水をまいている。

残骸から生じる埃を殺している。

瓦解した校舎の崩れのうえにのりこんで、

ショベルカーが揺れながら崩れた校舎の端に爪をあてて、がらがらと引き降ろすと、

そのままに壁面の漆喰が剥げ落ち、骨のように突き出したなかの柱木がめきめきと折れ、

やはり落ちる。

新たな傷があらわれる。

重機のなかのおやじの表情を見ようとしていた。

とくに感情もない顔つきだった。

爪のついた重機が、その爪を食いかけの傷のなかに突っ込んで、

かきまわして、引き抜いた。

そんな光景が生け垣のむこうに展開している。

 

ふたり、中学校のジャージを着ていた。

真っ青のジャージだった。

ゼッケンがついていた。

学年、クラス、名前順のクラス内番号、そして、名前が書いてあった。

そのころの中学の指導方針で、他の男子生徒とおなじく、ふたり坊主頭だった。

 

「ヨシオ。」

 

おれは言った。

「こいつらにまかせちゃ、」

「だめだ。」

「おれたちがぶっこわさなきゃ、」

「だめだ。」

言うと、おれは自転車から下り、あたりにめぼしい石くれがないか、探しだした。

後ろの、たんぽぽが生え出している道ばたの黒い土に石を見つけて、

校舎の、まだ解体の手の入っていない窓ガラスの並びめがけて、

渾身の力で、投げた。

石は飛んで、一階のガラス戸にあたり音たててガラス戸を破り、校舎のなかに飛び込んだ。

 

おそらく石くれが飛び込んで音たてて跳ね返り、静止したあたりは、

教員室の前あたりの、解体を控えた無人の廊下とおもわれた。

 

木でできた学校だった。

それも古く、乾燥しきったやわらかな木でできていた。

うす暗い玄関のたたきに入ると、

乾いた木に、ワックスの塗りこまれたにおいがした。

石が飛び込んで転がった先は、つめたい廊下だった。

廊下には、空調施設がなく、灯りもほとんどつけられていなかった。

週に一度、全校生徒が体育館での朝礼にむかった。

無数の少年少女が隊列をくんで、早朝の木の廊下をきしませてもくもくと歩いていった。

厳冬のさなか、

歩いてゆく右手のガラス窓から、せつせつと降る雪が生け垣の常緑の潅木につめたく積もり、

濡れた葉先から落ちてゆくのが見えていた。

頬のあかくなるほどの寒さに凍みつきながら群れの最後尾を歩いていると、

いつもただひとり、小暗い木造の巨大な古い建造物のなかを歩いているような気がして、

前にひそかに続いている磨き上げられた廊下に宿る光が、

冴えかえるように見えていた。

実際、

ひとり授業中に小便にたって、西の一番はしっこにあったごく古い様式の便所に向かう途中、

裏玄関から三棟の校舎を一直線につらぬいて校庭まで通じる中央の廊下ほど

おごそかで静まりかえったものはなかった。

音のない闇を、ひろい木の廊下が底光りするようにしてずっと先まで続き、

厳冬の空気の重さ、冷たさがその闇を支配していた。

廊下の果てに、校庭へ出る玄関の窓がちいさく四角く、銀色に光って見えていた。

人知れず茫漠とした校庭に雪が降りしきり、降り積もるのが見えていた。

その雪の様になにかうたれるものを感じて、

いつもその廊下の真ん中で立ち止まってしまうのだった。

 

 

 

また投げる。

ガラスが割れる。

ヨシオが、困ったような、日射しがまぶしいのか、目をしかめるようにしておれを見ていた。

「ヨシオ。」

「なにみてんだよ」

「おまえも、投げろ。」

言って、石を手渡すと、

いったん思案したが、すぐにヨシオも思いきったように石くれを投げた。

飛んでゆき、窓を割り、飛び込んだ。

 

その飛び込んだ先は、

おれとヨシオがはじめて会った二階の廊下のあたりだった。

 

五年のころの、

クラス替えがあってからの間もない春の休み時間に、

おれが、ヨシオのジャージの首を掴んで、思いきり上へねじりあげた。

絞りあげられてのけぞったヨシオは、折れずに

すぐに同じちからかそれ以上のちからで反発してきて逆におれの胸ぐらをしぼりあげてきた。

その意外な反発力のしぶとさに、おどろかされた。

なにが気に食わなかったのだろう、

今となってはおもいだせぬが、

ヨシオは学校に数すくない、一癖ありそうな覇気を身にまとっていた。

快活な覇気だった。

その頃おれはそうしたなにか気にかかるようなやつを見ると、喧嘩をしかけるようになっていた。

それはすこし前のある春の雨の日に、

昼休みの時間、

すずかけのにおいのする校庭でサッカーをしていた時に、

喧嘩がつよいと評判だった闘犬のような顔の大きなからだをした

菅原町の古戦場脇に住んでいたモッチに

因縁をつけられて、

困惑しながらも幼稚園児時代の手酷くいじめられた記憶がよみがえり、

まるで意識とは無関係に血が逆流するように全身が反応してモッチの向こう臑をしたたかに

蹴りあげたことからはじまっていた。

じぶんが、ひとを蹴りあげたことがまずおどろきだった。

それは反射的な、からだに備わっていた防衛本能にちかいもので、

瞬間的なまばたきにも似た不随意のもののようにおもえた。

はじめてひとに手を上げたのだったが、

雨を含んで濡れた砂の校庭に意外なほどのもろさでうずくまり、

あまりの痛みに臑をかかえ顔をしかめて泣いたモッチはそれ以降従順になり、

おれは暴力に味をしめたのだった。

 

それ以降、

自分が脅かされるように感じるとおれは暴力を使うようになっていた。

その暴力は、愉しみやあこがれから発するものではなく、純粋におそれから生じていた。

火の匂いがすると、

駆けつけていって水をぶっかけてしまうようなものだった。

たいていの者は意外なくらいにその勢いを喪ってゆくので、

おれはどこかでそれが一時的な、一方的な作業であると思っていたのだが、

そうして喉元の緑色のジャージを絞りあげられたヨシオは、

たしかにしっかりとおなじ力で反発してきたのである。

たがいに喉元を絞り上げて、ふたりして一本の渦のようになって

上へ上へとじりじりと上昇していった。

こちらがちからをこめると、ヨシオも返す。

ヨシオがちからをこめると、こちらも返す。

おたがいがおたがいを圧倒しようとするができない。

猫の喧嘩のようになって、たがいにことばにもならないようなことを唸りながら

埒があかなくなってしまったのだった。

ヨシオは折れなかった。

(しぶといやつだ)

はじめて思った。

そのとき結局決着はつかず、どちらともなく手を離すと

ヨシオは笑顔で訛りのつよい、ヨシオ独特のことばで言った。

「また」

「やっぺな。」

 

どこか同じ匂いを感じていたのかも知れなかった。

 

 

小学校も中ごろを過ぎると、

絶えず怯えていた。

それはもともと部外者で言葉もちがういじめられやすいおれだったのだが、

小学校の三年のあたりから新芽が芽吹くように背が急激に伸びはじめて、

その頃おんなのような顔をしていてよけいに目立つうえ、

母親に強要されて末広町裏の美容院でひとり妙なマッシュルームカットにしていたことや、

喜多方では女のやることのように思われていたピアノ教室に通っていたこと、

少女趣味のピーターラビットの母の手縫いのかばんを持たされていたこと、

じぶんのことを「ぼく」と呼称するように言われ、

家の外での「おれ」との間に決着がつけられなくなっていたこと、

そうした主として母の嗜好からくる教育方針に発達しはじめた肉体的なことがないまぜになって

学校で自分でもわかるほどにある種の匂いを発散していたことに起因していた。

学校にはそうしたある種の『匂い』に敏感な者がいて、

おれが気にさわる者をいちはやく蹴りとばして火を消すように

その匂いを嗅ぎつけては火種にまとわりついてくるのだった。

ある春の晴れた日に学校の西側の便所脇の外を歩いていると、

ふいに、見知らぬ色の黒い背の高い上級の者が来て、

いきなり顔に唾を吐いてゆくことがあった。

校庭で、うしろから首を締められることがあった。

山のなかの学校の者が奇異なものを見るようにわらうことがあった。

まるで見知らぬ話したこともない者ばかりで、

そうされる個人的な理由はおもいつかなかったが、

どうやらそれは自分から生じているものなのだろうことはわかっていた。

おれがおれであるから、

かれらがかれらであるから、

どうやらかれらはおれを憎しみ、唾を吐くようだった。

唾を吐かれて、

咄嗟にしゃがんで顔を覆った掌のくらがりのなかで、

おれは悲しみというものの或るひとつのかたちの底を見たのかも知れなかった。

掌のなかのそのくらがりのなかで

おれはそれ以降泣くことをやめた。

モッちゃんとの一件は、泣くことの代償としての暴力という手段を

そんなおれに与えたのだった。

 

 

 

泣くかわりに暴力をふるうのだったら、

そのころのおれは毎日泣き叫んでいるようなものだった。

学校では、日々刻々とそうした者から身を守らねばならず、

反発的におもてにあらわれる暴力は頻度をまして過激になっていった。

ふいに、弱い者を蹴っていることがあった。

遊んでいて、ふいにやりすぎて相手を傷してしまう。

制御することがむずかしくなっていった。

周りの者もそんなおれを当然危険におもい、

一線を引くような距離を取るようになり、

孤立はふかまっていった。

孤立は、のぞんでいなかった。

わかりあえるともだちが欲しかった。

心底からともだちを求めながらも、

怯えと、暴力の連関が切り込むようにおれをさいなみ、

それとはまったく逆の孤立の位置へとまきこんでゆく学校生活というものは、

それは、それは苦しいものだった。

その連関からもとより外れたところにいる子供達は、

ずいぶんと柔和に、ゆったりと学校生活を送っているように見え、

海のなかの小魚の群れのようでうらやましくもあった。

そんな大多数の子はそんなおれとは棲む海流がちがうように、

生息域がちがうようにまるで関わりあいになることはなかったのだが、

ヨシオはおれとひとつの渦のように絡みあった。

その折れない気持ちを前にして、

ヨシオには

なにかおれの怯えと似たものが巣食っていることを、

意識できなかったがからだで感じていたように思う。

 

 

ヨシオの耳の不具合は生得のものであって、

発することばにその影響が出ていた。

またヨシオ独特のふるまいかたがあって、

仲間になると会うたびにいたずらっぽい笑顔で左の親指をたてて、

決めた秘密の符牒のような仕種をし、

させるのだった。

こどもっぽい冗談がすきだった。

そのヨシオ独特の節回しを

笑ったりまねしたりしながらも根底のところで

愛することができるものがヨシオのまわりにたむろするのだった。

しかしそうしたある種の差異というものを

鳥のように啄む者もまた、おなじように学校にはいた。

 

塗物町の、一中の校庭の前の住宅街に住んでいたハルノブは、

喧嘩早く、伶俐で、気の強く、酷薄な苛めっ子だった。

最初は別のクラスだったのだが、

力の制御が利かないような感じで、暴れてガラス戸に頭をつっこんで血だらけになっていたり、

やはり廊下でなにをしたのか腕を血だらけしていたりするのが目立っていた。

一人の子にいたずらでもしたのか、えらい剣幕で追いまくられながら

追われることがたのしくてしようがないという様子で笑いながら

目の前を駆けてゆく、そんな少年だった。

ハルノブもまた同じクラスになったのだが、

同じクラスになってみると、極度な虐め癖があることがわかった。

坊主頭の後ろに小さな傷があって毛のない部分のある上高の運動の下手な子を

「ピッツ」

(どういう意味なのかわからないがその小さな禿をそう言っていた)

と呼んで、そのことを執拗にあげつらい泣かせる。

癲癇があって、授業中にとつぜん発作が起きて失神し、椅子から落ちて失禁してしまう

豊川の兄弟の多い女の子や、

幼稚園の時の誕生日会で誤って鋏で右の目を潰してしまった川原の女の子などを、

まるで穢れたもののように言って泣かせる。

そうしたこどもたちが触れたものを、さらに穢れが移ったもののように

けたたましく扱い貶める。

休み時間は、そうした者をつつくためにあるようだった。

生得的な特徴、ある肉体的な傷などをそうして蔑む向きはすくなからずあって、

それはむごいものだったが、ハルノブのそれは度が強すぎるようにおもえた。

またハルノブの鉾先が、

おれに向かってくるのはそう遠いことには思えなかった。

思えなかったので、

例によって、火種を消すことにした。

 

その年の夏の日、

巨大な積乱雲が沸き興こっていた校庭で運動会の練習をしていた。

教師たちは、

なぜだかしらないが運動会をはじめから終わりまでそっくりそのままの手順を践んで

幾度かくり返させた。

ジンギスカン、という名の踊りを校庭に集合した全校生徒一同で踊るのを、

毎日、繰り返させる。

すばやく離合集散し、等間隔に整列できるよう微調整する。

やたらに笛を吹いていた。

どこか偏執的だった。

その時、

校庭の通りに面した端から背の順で並んで、

隊列を組んで前方へ行進していた。

両手に、踊りの時に持って振る青いビニールの紐を細かく裂いた

ふさのようなものを持っていた。

目の前に、ハルノブの背中があった。

尻のポケットから、消しゴムをカッターで小さくしておいたのを掴み出して、

頭めがけて投げ、当てた。

「いて。」

「なんだ?」

ハルノブがふりかえった。

おれは知らばっくれて、おおげさに手足を振って行進した。

ハルノブが前を向くと、またひとつつまみ出して、投げ、当てた。

それはハルノブがよくやる手法だった。

 

「ってえ。」

「だれだよ」

 

剣幕になって振り返る。

知らぱっくれる。

またやる。

 

「ざけんな」

「だれやってんだ」

 

幾度かくりかえすうち、涙目になってくる。

繰り返すうち、どうやらおれがやっていると分かってきたらしく、涙目で文句を言う。

「ざけんな」

「ぼけ」

文句を言うのだが、そのころのおれが危険な者だとわかっているので、

ハルノブも頭が利くたちで手をあげることができないのだった。

「はははは、泣いてやがる」

「どうした。」

 

「かかってこいよ。」

 

涙目の顔の正面から脅すと、

ハルノブの目から涙が、あふれた。

それ以降、ハルノブはおれに近寄ることはなかった。

 

そうした暴力的なものに対する処理の仕方ばかりを考えて、

実際に処理し、できるような者は奇異なもので数が少ないようだった。

そんな制裁めいたものをふっかけてくることもない者は引き続き、

ハルノブの標的になっていた。

 

「おーい」

「つんぼ。」

「きこえてんのか」

 

それはヨシオも例外ではなかった。

休み時間になると、ひまつぶしのようにハルノブはヨシオのことをそう言って、

愉楽のようにわらうのだった。

そうすると、

 

「おめえ」

「そういわっちゃやつのきもちになってみろッ」

 

ヨシオは火のようになってハルノブに食って掛かり、追いかけるのだが

狡猾なハルノブはたいてい逃げおおせるのだった。

しかしいつもは捕まえられずに逃げられるところを

ある日、

北校舎の東玄関の土間で捕まえたことがあった

 

 

その玄関には灯りがなかった。

秋の下校時刻で、

外には豊かさそのもののような秋晴れの午後の光が満ちていて、

暗い玄関といちじるしい差異をつくっていた。

けもののようになって駆けたヨシオの手が、ハルノブのランドセルの背の革を掴んだ。

両手でひきずり回し、ハルノブが土間に転んだ。

砂埃がたった。

ヨシオがそのうえに飛び乗ると、ふたり転がって簀の子の上にもつれこんだ。

それから真剣な組合いになって、

ふたりはからだを埃まみれにして土間の上を転がった。

簀の子の板が派手に音を響かせた。

ハルノブは逃げなかった。

ふたり、ひとつの球のようになって転がった。

 

(ヨシオ、勝て)

 

(勝て。)

 

埃にまみれて、

組み合って髪をひっぱり、

殴りあって転がって、

突きあう。

緑のジャージを真っ白にしてゆく

ヨシオを見て、

思った。

 

しかし。

 

「いてえ。」

 

ヨシオの声とともにもつれあいは止んだ。

ヨシオの小指が、折れたのだった。

ハルノブがうやむやのうちに居なくなって、

外からの秋晴れの光の入る暗い簀の子の上で、

取り残されたヨシオは背中を見せてうつむいて座っていた。

砂埃が、残り香のように舞い立っていた。

静けさをとりもどした暗がりで、

左手の小指を抑えて、

声を殺してヨシオは泣いていた。

その背を震わせて泣き腫らした横顔の、頬の色の紅さが、

そのころのおれに、ふるえるように胸に滲みた。

 

 

 

はじめて知り合った日からしばらくは、

ヨシオとおれはそんな力試しをして、

お互いの力関係を知るようになると友だちとして付き合いはじめた。

ヨシオの遊びは、

おもにヨシオの家からすぐ近くの、中央商店街のゲームセンターにゆくことだった。

同級に、愛くるしい顔のキョウコという子がいて、

その子の家が商店街にパーラーエガワという名のクレープやジュースを飲ませる軽食店をやっていて、

その二階が薄暗いゲームセンターになっていた。

ヨシオが悦びをみいだすのはどこかキナくさいような金を使ったあそびで、

100玉を10枚分のメダルと交換して賭ける簡易ルーレット賭博で

電盤のルーレットのきまった番号に任意にメダルを賭けて、

それがまんまと適中してメダルが何倍にもなって出てくることや、

宇宙空間の戦闘機のヴィデオゲームで派手なレーザービームが

駆け廻るようなことだった。

パーラーはそのころには軽食屋の営業はやめていたのだが、

かつてのクレープやパンケーキを焼いていた匂いが染みついていたのか、

いつも店内になにかゆがんだ甘いような匂いがたちこめていた。

造り付けがそのままになっていた明るい無人のカウンター席から

奥の半分以上が広いゲームセンターになっており、

そこからは灯りが落とされて薄暗くなっていた。

たばこの煙りが立ち篭めるその暗い中を、

たくさんの並べられたヴィデオゲームの光が派手な音をひびかせ、

そこここで明滅していた。

店の奥の階段をあがって扉をひらいた入り口の左手の端に

その電板のメダルゲームが四台ほど並んでおり、

ヨシオについて100玉をメダルに両替えし、

その前に座るのだった。

ヨシオはメダルを入れ、電盤のルーレットの赤と黒の番号の目を押す。

押された番号に、遊園地じみた音がして光が灯る。

賭け終わった後、開始ボタンを押すと、ルーレットの上を光が高速で回転しはじめる。

実際に金が増えるわけでもないのだが、

憑かれたように光が回転するゆくえを見つめる。

 

「おおっ、おおおおっ。」

 

「あああああ。」

「いやあおっすいかったんなあ。」

「でも」

「だいじょぶだあ。」

わずかに外れて制止した光を見届けると、

ヨシオはこちらを向いて、親指をたてた。

そうしてコインが増えるのを待ちわびるヨシオを

どこか不思議なような、辟易するような気持ちでとなりでながめていた。

ヨシオの昂揚しているらしいことは、

おれにはどこか底冷えがするような、虚ろな気持ちをもたらした。

そのむなしさを承知で、

むなしさを紛らわせるためにコインを賭けるのか、

宇宙空間でビームを放射するのか、

それともほんとうに愉しみから行っているのか、

おれには不可解で、

ヨシオとおれとの感受性の間になにか決定的なちがいがあるような気がしていた。

遺伝子、ということばをそのころ知らなかったが、

なにか遺伝子というぐらいに深いところでのちがいがヨシオとおれにはあって

ヨシオにはたのしめることが

おれには痩せて乾いた風がぬけてゆくような、

そらむなしいものとしてしか感じられない。

ヨシオには備わっているある種の感覚がじぶんにはまるで欠落してしまっているような、

そのことがまたなにかじぶんが「おとこ」になるうえで

決定的に欠落しているものがあるような、

そんな不安な気にさせるのだった。

不安と虚ろにとりまかれながらも、

雑音のなかで

おれはヨシオのとなりでヨシオと同じようにコインを投じ続けるのだった。

 

 

ヨシオにとりすがっているようなところがあった。

そのころになると、クラス替えがあって、

おれはテルちゃんと別れていた。

喜多方では三年になると、さまざまな行動がゆるされるようになり、

自転車に乗れることもそうだったが、スポーツ少年団という地域活動に参加できるようになった。

知っている限りでは野球、サッカーがあり、

兄の影響もあり、おれは「南部」という名(喜多方市の南部、という意味である。)

サッカー部にはいっていた。

テルちゃん、ヒロさんも加入していて、

よく三人で学校が終わった後のこうもりの飛来する夕に

三人連れ立ってボールを自転車に乗せて

二小の裏手から校庭に入っていったのだが、

しばらくしてふたりは抜けてしまった。

それまで、ほんとうに気の許せるともだちと言えばテルちゃんしかいなかったのだが、

テルちゃんはサッカー部で知り合った替わった先のクラスにいた、

四ッ谷に住んでいてやがて転校してゆくからだのおおきなメグヒンと

付き合うようになり、疎遠になっていった。

おれはどこか宙吊りになったようで、

うしなったものの代わりをもとめるようにしてそれまではあまり付き合わなかった

知り合いのもとにひとり顔をだすようになり、

菅原町の、

冬になると積んだ藁を燃してその年の正月飾りを燃やす歳の神をおこなう広大な田の脇に住んでいた

おおきな家に住んでいたヒロユキ、三年年下の家にたぬきを飼っていたカツの二人連れや、

おなじく菅原町のモッチ、ヨートのコンビ、塗物町のサタケくん、上高のジンなどと

多くの者とあさく、うすく付き合うようになっていた。

かれらの遊びは家でゲームをしたり、公園で野球をしたり、

通りでただ話したり、古戦場の枯田でボール遊びをしたり、

公園でおにごっこをしたりする元手のかからない概してたわいのないあそびで、

はじめは意識せずそこに加わっていたのだが、

いつしかそこに飛び込んでみることになにかすでにある連帯のなかに

異物として飛び込んでゆくような、

どこか肩身がせまいようなものを覚えるようになっていた。

またひとりびとりとして付き合ってみるのだが、

なにかヒトである相手の子が獣の子であるじぶんと向かい合っているような、

どこか諸手で組みあってもらえないような空々しさを感じる。

そうした連帯のなかで肩組みあって笑っている連中を見たり、

遊びの合間の端々に露出するじぶんをふくんだ時に生じる「間」を前にすると、

むしろかれらとの間の一線が意識されてならず、いたたなまれなさにやはり疎遠になってゆく。

羽をのばすことができず結局はふかい付き合いになれないのだった。

ヨシオは、たいていひとりで活動していた。

またヨシオのまわりにはひとりで動くものが、やはり集まってくるのだった。

それらのたいていの者ははみなひとりで動かざるをえないような言い知れぬものを抱えていて、

またそのせいで意図せずどこかに火薬を抱えてしまっているような一癖ある連中ばかりだった。

それぞれがけもので、

けものであることを別に隠す必要もないという点で、

結局、違和感とむなしさを覚えつつも切り込んでくるような孤独を埋めるには

おれには

ヨシオしかいなかった。

 

学校が終わるとなにかにつけ御清水のヨシオの家を訪なうのだったが

おれにはヨシオしかいなかった反面ヨシオにはそうではなかったようで、

遊ぶ約束をこちらからして、

一本の柘榴の小木の脇に清水の湧きだしている御清水神社の前のレストランに向かうと

ヨシオはすでにどこかへ出たあとらしく、

呼ばわってもだれもでてこない脇の入り口の前にむなしく立ち尽くすことが幾度もあった。

おれのさみしさというものはなかなかしぶといものがあったので、

ヨシオを誘うにもすこし執拗がすぎていたのかもしれない。

時にうとましさを感じてそうして約束を反古にしていたのかも知れぬヨシオと、

すぐちかくの市役所裏の御清水公園にゆき、

桜の小木に囲まれたなかで

置き去りにされた廃棄物の机をふたりで蹴って破壊したり、

爆竹や癇癪玉を破裂させたり、

ロケット花火を地面から垂直に飛ばして知らぬおやじのすれすれに飛ばしたり、

いたずらをしたり、

ただただ話したり、

サッカーをするのだった。

 

夕闇のせまった秋の日、

サッカーボールを持って、ヨシオと御清水公園に入った。

公園はちいさなもので、だいたい半分が石畳になっており、

その上に滑り台やジャングルジムなどの遊具があり、

右手の市役所の裏手につづく大きな桜が幾本も茂った下にブランコがあった。

通りに面したテニスコートひとつ分くらいのところが砂地になっており、

その端から球を転がして飛ばすと、石畳のわずかな高さの上がり端に当たって戻ってくる。

そこを利用してふたりで球を交互に蹴ったり、ゴールにみたてて使うのだった。

 

「お、ヨシ。」

球を蹴りながらやってくると、タムラくんが弟といた。

タムラくんは、

ヨシオとおなじく御清水の子で、おじさんは夏祭りのテキ屋をしていた。

小柄な、不器用な、前歯の欠けた石くれのようなこだった。

小学生の頃までは一応学校にやってきてはいて、諏訪神社の夏祭りでは

彫り物のはいったお兄さんのとなりで店の閾のむこう側にいて、

光のなかで輪投げの夜店の手伝いをしていたりして、ひとなつっこく笑っていたのだが、

中学のなかごろから学校に現われなくなってゆくのだった。

やがて完全に足が遠のいて、連絡もとれなくなったある日

同級の者がタムラくんの机のなかを探ると、置きざらしになった教科書とともに

ごくこどもらしい落書きばかりが残されたノートが現れたことがあった。

その絵のおさなさが、なにか痛ましいようにおもえた。

 

「タム、ゲームやっぺ。」

おれが言った。

そのときが最初で、最後の交流だった。

「いいよ。」

「おとうとも入れて、二対二だ。」

そういって、ヨシオと、みなでふた組にわかれ、

ゲームをした。

タムラくんの弟は、3学年くらい下の、幼稚園児のようなこどもだった。

陽が、落ちて、

あたりの色がなにか記憶が遠のくような色の夕暮れになってゆくなか、

砂を蹴って、球を追った。

球がとんだ。

おれとタムラくんが組んでいて、タムラ君が球を運んで、石畳の上がりはなにシュートして

点をいれた。

すると、

 

「あーりがと、ない。」

 

と、ふざけて屈託のない笑顔で言い、上向きにおれの両の掌を差し出すように言って、

上から、

いきおいよく両の掌ではたいた。

暮れてゆく黄昏のなかでそうしておれに向けた笑顔に、

なにか、くずれやすいものと向き合っているような、そんなものを感じていた。

 

 

いつのまにか、

ヨシオも「南部」に入っていた。

最初は遊びにかまけて来たり来なかったりだったのだが、

五年にもなるとキーパーをやるようになり

作業用の軍手をしてゴールマウスに立っていた。

ヨシオには独特のリズム感があった。

たとえばパーラーエガワの二階でゲームをしていて

ファイティングストリートという名の格闘ゲームをやっていたりすると

興がのってきてそのバックミュージックを口ずさむことがあった。

音程はそれこそむちゃくちゃだったが、

口ずさみながら指をドラムのスティックのようにして叩くふりをして

その様がみょうにリズミカルでみなで笑いながら感心したのである。

ある日の試合でキーパーをやるものがなかったところヨシオにやらせてみると

飛んでくる球におもいのほか上手く反応した。

そんなことからヨシオはほかのだれでもないじぶんの場所を見つけて、

しだいにサッカーに身を入れるようになっていった。

素手でやっていたのが、作業用の軍手をするようになっていた。

塩川や熊倉、若松のほうへ試合にゆくと、

たいていその先にわれわれは知らぬヨシオの悪友がいた。

喜多方は狭かったけれども、ほかの学校の者と知り合いになる機会というものはごく乏しく、

われわれの脇にきてヨシオになにかあいさつをしてゆくそんな者をみると

ヨシオのふしぎな顔のひろさを感じるのだった。

試合になっても、

ゴールの裏にまわったそんな連中と球の行方もみずにヨシオはなにごとかを話し込んで、

どうということもない球が転がってきてみすみすトンネルして失点する、

というようなことが一度ならずあった。

ハルノブもいつしかサッカー部に入っていて、

左足のキック力のある中盤のレギュラーとして活躍するようになっていた。

六年にもなると、かつての悶着はどこへ、

おれ、ヨシオ、ハルノブ、寝小便癖が高じて夜ねられず悪さをするカッサン、

上高の部落の出で蓄のう症のイカ、転校生で男前だったが猥本を何十冊も納屋に隠していたコージなど

学校でもあくの強い面々がチームとなって

秋の夕に押切川を埋め立てた競技場で試合に負けて解散になるまで

勝ったり、負けたり、罵ったり、喜んだりしながら

汗まみれの一塊になって駆けずり回ったのである。

 

 

冬の日の昼休みだった。

そうした面々が一団になって、二小の古い体育館でこどもの密集するなか

バレーボールでサッカーをしていた。

冬になると雪がつもるので、おもてでは球は蹴ることができなかったのである。

体育館はやわらかな乾いた木が葺かれていて、

週にいちど朝に全校の生徒があつまって校長のはなしを聞く場所だった。

朝の集会の時は、なぜか冬曇りでもいつも灯りは消えたままで、

うす暗いなかで貧血気味の女生徒がはでな音をさせて卒倒していた。

吐く息が凍結したような外気にふれて白くなる頃、

退屈に倦んじて頭上を見上げると、

高いところに嵌まったおおきなガラス戸からその年のはじめての雪が舞い降るのが見えて、

本格的な冬の訪れを知って声をあげたことが一度ならずあった。

 

「雪だ」

「雪がふってきた。」

 

おれがそのことに感動して前のものに言うと、他の者にも気づいた者があって、

あちこちからひそかな歓声があがるのだった。

 

昼休みで、

一年生から六年までのさかんなこどもの群れがおびただしく駆け回っているなか、

血の気のおおいわれわれはまるで遠慮もせずにバレーボールを本気で蹴り飛ばすのだった。

球はすっ飛んで、裏手の扉に当たり、

薄いガラスは簡単に割れるのだった。

校舎のガラスはもろく、

そのころ流行していたモデルガンでBB弾を打ち込むと氷のように割れた。

たいてい一日に一枚は割るのである。

じゃんけんで負けたものが教員室に出向かい、殴られた。

殴られるのだが、次の日にはそのことをまるで忘れたように球を蹴った。

だが、その日はそれとは比較にならなかった。

体育館のなかほどで球を持ったヨシオがなにを思ったか、

いきなり頭上にキーパーがやるようなパントキックをした。

球はいきおいよく真上に飛び上がって、

天井に向かった。

天井には体育館のなか全体を照らす大きな電灯があり、昼休みには灯っていた。

その電灯を保護する分厚い波打った大形のガラスが天井に嵌まっていて、

球がそのガラスに当たり、

割れた。

 

ガラスは割れて、

一抱えもある巨大な切っ先の刃物の塊になって、

おびただしく動いているこどもたちの頭上に、

降った。

砕けた分厚いガラスが電灯に耀やくのが、なにかこま送りにした映像のように

制止して見えた。

 

(あ。)

(ひとが死ぬ。)

 

思った。

全身から血が退いて、

ガラスの落ち先を見た。

 

(どうか、だれにも、当たらないでくれ。)

 

(どうか。)

 

はじめて、なにかに頼み込んだ。

その時、じぶんの行く末をふと思った。

ガラスの落ちる真下に、女の子の集団が入ってきた。

ガラスが、落ちて。

落ちて。

落ちて。

 

(逃げろ。)

 

女の子の頭に

すれすれのところで駆け抜けて、

脇に落ちた。

だれも傷せずにすんだ。

みな、肝を冷やし、だれにも当たらなかった運のよさをたたえあった。

運のよさをたたえあってからいきおいを得て、

翌日にはまたぞろ球を蹴っていた。

 

 

万事、その調子で、

だんだんにヨシオとおれを含む一党の行動は常軌を外していった。

もともと家のなかの自分からどうにかして跳躍をはかりたいと思っていた

連中だったので、

それは中学になると加速して、

悪質の度をふかめた。

それはやがて、おれが転校してゆくまぎわの御清水のスナックヘの侵入事件で

警察沙汰へ収斂してゆくのだったが、

われわれにはどうすることもできなかった。

たいてい火遊びがすきな者がいきおいをつきてゆき、止められない。

また、

本人たちが善意で行っているつもりのことがまるでちぐはぐに悪事であったりして、

止める発想すらないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「もう石ねえなあ。」

 

ヨシオが言った。

あたりに転がっていためぼしい石くれはあらかた投げてしまっていた。

いくつも投げているうち例によって歯止めが外れたように興がのってきて、

正面の校舎の窓ガラスにはおびただしい穴があいていた。

破壊を待つばかりの、人の消えた廊下の床のうえに投げつけた石くれが転がっているはずだった。

 

「よし。」

「いこうか。」

 

その穴を見て、ずれた達成感を得ておれは言った。

すがすがしい気分だった。

すがすがしく自転車にまたがり、ふたりどこかへ漕ぎだした。

このあとどこへ向かったのか、記憶にない。

 

 

翌日、おれは熱がでて、中学校を休んだ。

いつも通り出ていたヨシオが、朝の朝礼で肝をぬかれるようなことを聞いた。

「さくじつ、」

「わが校の生徒が、第二小学校の窓を、32枚、石をなげつけて割りました。」

校長が言っていたのだと言う。

その日のうち、ヨシオは教員室によばれて、ごみ箱のように殴られたのだった。

石くれを投げつけていたうしろの建物は市の集会場で、そこにいたおとなが一部始終を見ていたらしく、

ゼッケンがわれわれのジャージの背と腹に貼り付いていたので、

かんぜんに個人的に犯人が断定できたそうだった。

なんでも、おれたちが破壊した北校舎の東半分は、記念にそのまま保存する予定らしかった。

その頃、ほかの警察沙汰で火に包まれたような身辺になっていたおれは、

おやじが新聞記者だったことがあったのか、

翌日でた学校でたいして咎められなかった。

咎められなかったが、それからしばらくして転校することになったのは

今思えばこんなことが遠因であったのかもしれない。

転校してからおれはヨシオと疎遠になり、

一度だけ高校を出てからレストランを継ぐべく板場修行に横浜へ出てきていたヨシオが

家へやってきて、

有料のいかがわしいテレホンセックスの電話をかけたことがあったぐらいで

それを最後に音沙汰が途絶えた。

 

 

それから十余年後。

いきなり、ヨシオから電話がかかってきた。

「つぼちゃん、げんきかあ。」

鼻にかかった、独特の話し方はそのままだった。

 

「おう、ひさしぶり、げんきだよ、どうした。」

「いやあ、げんきしてっかなあ、とおもってなああ。」

「つぼちゃん、おれ、結婚しただあ。」

「おう、まじか?」

「そうか。」

「それはめでたいな。相手はどんなひと?」

そんなヨシオの身辺の話から入り、ヨシオが消防団の仕切り役をまかされたとか、

レストランの第二店鋪を川原沿いに作ったのだなどと、

ヨシオなりのおとなとしての人格が着実に実現されていることを、晴れ晴れとして話すのだった。

隔世の感にうたれた。

 

あの、あくたれのがきが。

 

こそばゆいような感じもするのだが、

しかしヨシオの晴れやかなすがたはおれにとっても、真実うれしいものだった。

そのはなしがそのままおれの身辺のことになってゆくのだが、

おれはいぜんとして時給千円そこそこの仕事を元手に、

売れもしない絵を描き、音楽をやっていたのであり、

晴れ晴れとヨシオに語りうるものも何もない。

あるがままを教えてやると、

ヨシオはだれがどうなった、喜多方のなにがなくなった、なにがあたらしく出来たか、

だれは出世した、だれは捕まった、

そんなはなしをした。

こちらも引き込まれて聞いてゆく。

30分も話すと、

「つぼちゃん、おぼえってる?」

ヨシオが言った。

 

「なにを」

「サッカー部、みんな三十になったら集まって飲むべ、って言ってたべしたあ?」

「あれ、来月やろうかなとおもって電話しただよお。」

「いつか三十になって、そのころはどんなおとなになってっか、

見てみてえなあってはなししてたべしたあ?」

ヨシオは記憶がいいのである。

おれはまるで覚えていなかった。

「つぼちゃん、こっち来っせえ」

教えられた日取りは、ちょうど、絵の個展の初日だった。

そのことが、運良く思えた。

「わるい」

「ちょうど、絵を見せる個展の最初の日で、その日はどうしても無理なんだ。」

おそらく、個展がなくとも、おれは嘘をついて断っていただろう。

なにか多大にかけられた期待を裏切る気持ちの悪さのようなものを、

一方的にではあるが前もって味わってしまっているのだった。

「ヨシオ、そんならこっち来いよ。」

そう言ってみると、

 

 

「いやあ、むりだなあ」

「いまは、こづくりにいそがしいだあ。」

 

 

と言った。

「はははは」

おたがい笑った。

それは衒いのないヨシオらしいことばで、おもわずわらってしまったのだが、

わらいながらその奥で、

これからヨシオに生まれてくる子が、

耳に障害もなく、

からだのどこも傷一つとしてない

祝福されたようなすこやかな子であればよい、と

願う気持ちの意外な切実さに、胸がつよく握られるようになるのを

ひそかに感じていた。