「多様性の樹」

750×920mm

2002

ポストカード化

 

八月の諏訪神社の夏祭りが近づくと、

末広町の子供は、アベ君のお父さんに率いられ、

祭り囃子の練習をするのだった。

はじめは、気乗りしなかったが、

やはり父に駆りだされてゆくことになった。

夏休みの夜七時、

家の玄関を出ると、

喜多方の田という田に棲む蛙が

いっしんに啼き交わす交情の声が

ひとつの響きとなって

市中に満ち満ちて聞こえてくるのだった。

そんななかを

駅前通りを駅の方にむかって歩いてゆくと、

道向いに中華料理店「春月」の看板が白く光っていて、

春月の店の玄関とつながった、

一階部分のくり抜かれた駐車場にゆくと、

電灯に照らされて

わらわらと

子供、大人のたちまじった十人ほどが集まって

すでにお囃子をはじめていた。

ヨッツ、ヨッツのお父さん、アベくん、アべくんのお父さん、

それから文房具店のお兄さん、それにオガヨが

横笛を吹いている。

サルが大太鼓を叩いている。

クリーニング屋の子が小太鼓を

叩いている。

テルちゃんはいなかった。

もう知った仲であるのでたいした紹介もなされずに、

勝手がわからないでいると、

アベくんのお父さんに

「じゃ、最初だからカネからやっか。」と、

ひえびえと冷たい、金色の小振りの灰皿のような鐘と、

先にパチンコ玉のような玉の付いた金属のばちをわたされる。

「曲にあわせて、こう。」

と、鐘のなかにばちを入れて上下にたたく。

-チャンカ、チャン-

-チャンカ、チャン-

-チャンカ、チャン-

-チャンカ、チャン-

冴えた、音がした。

こうして鐘からはじまり、

拍子木、小太鼓、大太鼓、と

打楽器ばかりを順繰りに覚えていった。

結局、笛はなぜかやらせてもらなかった。

笛を吹いていたのは古くからこの町にいる家の大人とそのこどもで、

そのなかにオガヨというあだ名の女の子がいた。

 

オガヨは、

名前をオガワヨウコ、と云って

上質の天然の黒砂糖のような、

黒い瞳が甘い、どこかさばけたところのある悧発な同級生だった。

家は町の裏通りにあって

同居していた母さんがすこしはなれた中央商店街でゲームセンター兼パーラーをやっていた。

さびれた商店街に面したパーラーオガワの前には自転車がいつも停まっていて、

褪色した明るい軽食店の奥の階段を登る。

扉をおしたうす暗い中に無数のゲームの筺体があって、

煙草の匂いと、軽食屋の軽みのある菓子調味料の匂いがまじるあちこちから

電子音の爆発音がしていた。

誕生日が来ると、オガヨはこのゲームセンターに好いた同級生たちをよんで、

ただで遊ばせていた。

惹かれながらも自分はよばれることはついぞなく、

すれちがう世界の中で小さいながらも輪の中心をなすオガヨは、

自分にはどこかとおい者として映っていたのだった。

それが、

じぶんがだんだんと年を経てゆくなかで暴力性をつよめてゆくと、

彼女の側のその境はうすくなって、

親しげにことばを交わすようになった。

 

囃子は

調子のゆったりしたものが二種(名をおもいだせない)、

いきおいのある「ねりこみ」の三曲あった。

これら三曲を交互に織りまぜながら、祭りの二日間、

いつもは二階建てほどの高さの細長い倉庫に蔵まわれている、

太鼓提灯の据えられた山車(みな太鼓台、といっていた)について、

喜多方市内をゆっくりと練ってゆくのだった。

祭りの当日の朝十時ころ、

真っ青の法被と足袋の祭り装束になって、

山車のしまわれている倉庫の前に集まる。

オガヨも、ふくらみはじめた胸を晒しで巻いて青い法被を着こんでいた。

そうして皆が集まるころには

倉庫のシャッターが上げられ、

すでに白くかわいた道路に

山車が引き出されてあるのだった。

われわれ楽隊とは別に、

山車を曳く子供つれの母親や、

子供たちがちらほらと集まってくる。

末広町はひとの少ない町だったので、

引き手の数も、

すこし心配になるくらいにしか集まらない。

山車を動かすことのできる

人員がようよう揃うと、

みなは綱を曵きはじめ、

総木造りの重い山車が

ごろり、と

動き始めて祭りがはじまるのだった。

各町が練る道順をそれぞれの区画にそって決めていて、

山車どうしが鉢合わせにならぬように、

喜多方の中心街のだいたいをどこかの山車が巡るようになっていた。

山車は二日、同じコースをたどるのだが、

なにしろ大太鼓は、

檜の生木をけずって出来た太い棒のようなばちを握るので、

手の皮に豆ができて、

それが赤く剥けるのだった。

テーピングなどで保護しても、

結局は無駄だった。

最初は、例によって、ちからごなしでどんどんと叩いていたが、

その時、ふと手も痛むことだし、

かるく、曲に合わせるように

叩いてみてやろうかと思った。

 

正午前、

御清水の日陰がちの、

商店街の裏通りを流していた。

陽の匂いを感じながら、

洗濯物の干されてある人家の軒、

蔵のしろい塗壁、

模様のはいった人家のすこしよごれたガラス戸、

脇のどぶを走る透明な水やらを見やりつつ

かるく、

たたいた。

笛に合わせて。

すると、あるおじさんが

前からやって来て、

「おおう。いいぞ。」

と酒焼けした笑顔で声をかけてきた。

「そうむやみに叩くんじゃなくて、

調子をあわせんだ太鼓は。な。

かるうく、やっだ。

いいぞ。」

と一方的にいい、前にもどった。

このおじさんは、

アベクリーニングの前に住んでいる

名も知らぬ一人暮らしのおじさんで、

一年を通じて祭りの時しか顔をみない。

堅気のひとではないのか、何をしているのかわからないひとだった。

毎年祭りが退けて、末広町のみなが解散するころには、

そうとうに酒をあおって、

猪のような顔をまっかにしてべろべろになりながら

意味の分からないことを言って

潅木の植え込みにもつれこんだりして愉快そうに笑っていた。

 

夕になると、

山車の軒いっぱいに吊るされた提灯に

電球の灯りが入るのだった。

山車は大太鼓がまん中に据えられ、

両脇に小太鼓が据え付けられていた。

その後ろを横笛の人衆がぞろぞろとついて歩くのである。

大太鼓の後ろからはしご段をのぼると、

ひとがひとりいられるくらいのスペースがあって、

外を覗くことができるようになっていた。

通りを巡って、

中央商店街にくるころには、

夕方になっていて、

各町の山車があつまり、

一列につらなって見物客の満ちた通りを往復するのだった。

大太鼓を変わってもらって、

上にいってみた。

祭り飾りのあでやかな金色のひかりのなか

下に囃子の律動を感じながら

はしご段をあがると、

オガヨがいた。

「あ。

「いたの。」

じぶんは言ってもどろうとした。

 

「いいよ。」

「ツボちゃん、」

 

「こっち来っせ。」

 

オガヨは言った。

上がって、身を寄せて外を見た。

夕ぐれの、湿り気をおびた風がゆっくりととどいてきた。

祭りの喧噪が眼下にひらけていた。

他の町の山車が無数の提灯をゆらして、ゆきかう。

沿道にひと。

各町の囃子がまじって聴こえる。

オガヨのからだは汗にほのあたたかく湿っていた。

汗を浮かせた横顔で、黒い瞳で眼下の喧騒を眺めていた。

じぶんは何も言わず、オガヨのからだの温みを感じて、

はじめておんなと肉体をふれあわせたことによる下半身の硬直を経験していた。

するとふいに、

 

ごとん、

 

山車がなにかを踏んだ。

「あッ」

「たいへんたいへん。」

下で、大人の声が上がった。

「どうした、なにがあったんだ。」

オガヨと顔を見合わせて、下へ降りると、

文房具店の兄さんが、しゃがみんこんで右足を抑えて悶絶していた。

白足袋の先が、血に染まっていた。

横向きに山車の先を歩いていたところ、山車が足の上に乗り上げたらしい。

「タオルタオルッ」

「酒、もってこいッ」

周りにひとが囲む中、兄さんが青い顔で立ちあがった。

「だいじょうぶ」

油汗を浮かせて、蒼白の顔で言った。

 

 

転校してから、

十数年たって、

友人の結婚式に呼ばれた。

式前に、

駅前の当時できたてのファミリーマートに行くと、

ひとりの女が酒を買っていた。

こどもを連れていた。

ふいに顔を見ると、オガヨだった。

こちらを認めたが、なにも言わず店を出て行った。

小学生のころになかった厳しさを感じた。

結婚式後の宴席でこのことを話すと、

中年の男のようになった元同級の男がオガヨのことを語った。

高校の頃からヤクザの男と付き合うようになった、

しばらくして学校を止め、

こどもを産んだという。

子を、今はひとりで育てているのだ、と言った。