「彼女は飛び込んだ;戦争」
花火があがると、アフガニスタンの年とった女は、泣いておびえるのだった。
「ジョントン・ブショイム」
「ブパシ」
「ムートン・ホフシュクイム」
「サッラーム」
彼女が入居した当時に職員が聞き出して残されたのであろうトルコ語のメモ書きは、
おれがはたらきはじめたころには棚にしまい込まれていた。
むかしはそうでなかったんであろう、
しかし、今や誰もそうしたことばはつかわず、無言で対応するか、
通ずるはずもない和製英語で「シット・ダウン」などといっては
彼女を怒らせるだった。
職員はみな、ただ「ビビ、ビビ。」と言っていた。
「ばあさん。」という意味をみな名前と思っているのだった。
ある日、ためしにそれっぽくいってみた。
「サッラーム(こんちは)」
すると、彼女の黒目がおどろきで光って、
どもりながら
「サッラーム」といったのだった。
その日から、残されたメモ書きをひとりで使うようになった。
そうするうち、おれはその老婆の専属、になったのだった。
納涼祭で、おれが浴衣に着替えて、みなを外に連れ出すために
何人かを後ろに控えてエレベーター待ちをしていたら、
ふいに、腰帯をつよく、ひかれた。
おどろいたので「お、なんだよ」と声がでた。
後ろを向くとアフガンの彼女がわらっていた。
浴衣がめずらしいのだろう、
彼女がひっぱったのだった。
そのとしからアメリカのアフガン侵攻がはじまった。
施設に生活していたひとたちの名は、いまでも、覚えている。