シリーズ『食供養画』1 豚 

ベニヤに油彩
520×980mm
2008
ポストカード化

 

夏の午後、

豊川の、

喜多方駅裏の昭和電工にタケさんと忍び込んでみると、

金属の精錬かなにかに使う大量の水を流す排水路が

広大な敷地に縦横に走っていた。

夏の日照りのなか、

おれとタケさんはその排水路に入って、

生臭いへどろのなかに棲む

ザリガニをたくさん、捕まえた。

誰かに見つかりはせぬか、

びくびくと、

遮るもののない敷地を歩いていたが、

とおくに見える灰色の工場に人気はなく、

じりじりとうだる温気のなか、

いつしかザリガニ捕りに没頭していた。

 

陽が傾きはじめるころ、

水を張ったザリガニを入れたバケツを

それぞれ抱え、

敷地を後にした。

道路に出ると、

コージが歩いてきた。

 

 

「お、コージ。」

タケさんが声をかけた。

「あ。バケツ。

とってきたの。」

「うん。」

コージが泥まじりの青いバケツを覗き込む。

泥がたゆたって、

あわい砂色の小振りなザリガニの群れが動く。

「ツボちゃん、コージ、でっかいのもってんだよ。」

タケさんが言う。

「ほんと。」

「コージ、ツボちゃんに見せてやっせ」

「いいよ。」

コージについてゆくことになった。

 

 コージとタケさんが住んでいたのは豊川、という町で、

真っ黒な同じかたちをした木造の小さな家屋がならぶ、

喜多方の工場地帯ではたらく家のこどもたちの多い地域だった。

おおきな黒ずんだ石油塔のある踏み切りをわたってまっすぐゆくと、

道の左手におおきな銀杏の木が二三本並んでいるのがあらわれ、

そこを左手にはいってゆくと、塗物町と盤越西線で仕切られた、

どこかほかの地域よりも埃っぽいような

豊川の区域になった。

豊川のこどもたちはとても団結力があり、

小学校の6年生から1年生までが20人ほどのひとつのかたまりになって、

銀杏の下のおおきな駐車場でサッカーをしたり、

田付川沿いの廃屋へぞろぞろと侵入したりするのだった。

また喧嘩のつよい子のおおい地域でもあって、

そんな子がぞろぞろと歩いてゆく中にまぎれる年少のものの面倒をみていた。

そんなこともあって、年に一度の市内対抗の球技大会でも強さを発揮し、

裕福でひとかずの多い塗物町のむこうを張って優勝することもしばしばあった。

喜多方には、そんな地域性を色濃くもった町がいくつかあった。

工場地帯、農村、富裕な町、水商売の町、林業の町、山村、そして部落。

そんな色をもった地域の子は、幼いころはそれぞれの地域の連帯のなかであそび、

他の地域の色のなかへ飛びこむことがあまりなかった。

おれは転校生でまた変わり者だったので、

そうした色に頓着せずにそれぞれの地域へ飛び込むことが

できたのである。

三年生のそのころのおれに、

豊川の、野球が好きでキャッチャーをしていて腹にいくつも球の打撲痕のある

おおきな蝦蟇のような頬の赭い上級生が、遊びのながれを取り仕切る姿や、

11人兄弟のおとこの子達が集団にうちまじって動いてゆくさまは

なにかうらやましいようなものを感じさせたのだった。

 

道路沿いをすこし歩くと、

中型のバンを改造したレモン色のたこやきの屋台があり、

コージのお母さんがほこりっぽいようなひとけのない通りを前に、

ひとり鉄板に油をしいていた。

その後ろに、「会津観光」と書かれた

錆のわきはじめた廃車のバスが二台ならんでいた。

窓ガラスがすべて黒く塗られて、

なかが見えなかった。

「ちょと、待っててねえ。」

コージが

バスに入ると、

いれかわりにコ−ジのお婆さんが入り口のデッキから杖ついておりてきた。

続いてコージがプラスチックの水槽をかかえてあらわれた。

「これ。豊川で一番でけえ。」

なかを見ると、

真紅の、

見たこともないほどおおきなアメリカザリガニがいた。

爪の肉付きが、みたこともないほど厚い。

水槽の生臭い水を嗅ぎながら、訊いた。

「どこで、とったの」

「昭和電工。

先週、ユウちゃんと、イケと捕りいった。」

「さわっていい?」

聞くと

「いいよ。」

と言う。

背のごつごつとした赤い殻に触れると、

ザリガニは両のはさみを

くわ、

と上げた。

指を挟まれるのは危険に思えた。

 

魅入られた。

 

「コージ、これ、くれ。」

「だめだよおう。」

「ええ?

頼む。

じゃ、なにかと交換しよう。」

欲しいものを見つけると、

なにをしてでも手に入れたくなり、実際してしまう悪い癖がはじめて出た時だった。

「なにか、って。」

なにか。

「このバケツ、全部は。」

「だめだべした。そったちいせえの。」

なにか。

そうだ、週間少年ジャンプが。

兄の。

「家に、ジャンプたくさん、ある。

それ、欲しいだけ、やるよ。」

兄が当時毎週買っていた週間ジャンプが二年分ほど捨てられもせず、

かといって読まれもせずに

家の二階の物置きに大量に積まれていた。

毎週、兄の読み終わった

『バオー来訪者』やら、

『ブラック・エンジェルス』やらの載っていたジャンプを学校に持っていって、

授業中おれは読んで、

時々コージをはじめ、まわりのともだちにも回していたのだった。

「ほしいだけ。」

コージは、ゆれた。

「ほしいだけ。な。今から、家へいこう。」

押すと、

「いいよ。いくべ。」

コージは応じた。

 

 

 

その日の夜、

そうして、ジャンプ20册と交換して手に入れた

おおきなザリガニを

おれは家の食卓の上に置いて眺めていた。

電灯の下でも、見れば見るほど、

惚れ惚れするのだった。

真っ赤な体。

おおきなハサミ。

分厚い、殻。

こんな、固い殻も初めてだった。

背を指ではさんで持ちあげた。

ハサミを上げて威嚇する。

指に力をこめても、

ぜんぜん固い。

ぜんぜん、固い、

ぜんぜん、固い。

ぜんぜん。

固い。

ぜんぜん。

指がめり込んだ。

殻を突き破って、ほのあたたかい肉に指が飛び込んだ。

裸足のまま玄関を駆けだして家の脇の草むらに

ザリガニを投げ捨てた。

 

次の日、兄がどういうわけかジャンプがなくなってる、

と言い出し、

持ち出しが発覚した。

兄は怒り狂いおれはさんざんに叩かれ、

ジャンプを取り戻すよう言われた。

「全部、ともだちに売っちゃったって。」

嘘をつくほかなかった。

 

なにも、解決しないのだった。