「ピエロ-黄」

420×920mm

2002

ポストカード化

 

真夏の、

昼休みだった。

 

トッちゃんが、

トッちゃんのお父さんから教えてもらったという

真ん中を一度折り返すやり方で折った紙飛行機を、

つ、

と真夏の、からっぽの教室の宙に放つと、

紙飛行機は

音もなく、

まるで空気に溶けるように、

ゆっくりと

高さを一定にたもったまま、

昼休みのけだるい暗がりのなかを

すすんでいった。

トッちゃんが飛ばした、

というより、

たまたま紙飛行機の形をあらわした

もともとは空気であったものを、

ほんらい息づいていた場所へ戻してあげた、

そんなようなその飛行機の軌道の優雅さに、

蒸し暑い暗がりのなか、

三人で声をあげた。

 

 

 

 

じぶんが通っていた会津の小学校の、

校庭に面した南校舎の二階の西端の教室は、

「青空学級」という名の、知的障害児のクラスだった。

じぶんが二年の時ぐらいまではその教室には、

一本木下の熊野神社の公園で、

小さな意地悪の上級生にからかわれて

激昂して、

その子の背をプラスチックのバットで殴った大柄の子や、

内気な小柄な女の子、

いつも近鉄バッファローズの帽子を被っていたやはり小柄の男の子たちが、

ひっそりと寄りあうように、

自分たちからは離れたその教室で授業を受けていたのだが、

そのころには生徒数が卒業で減ったのか、

青空学級じたいが無くなっていた。

無くなった後、

その教室は使われず、

物置きにもされず、

机も、

椅子もない、

なにも置かれていない

ただただからっぽの空間になっていた。

乾いた木の匂いのする、その教室の窓からは、

校庭からの防砂と冬の防雪をかねて植えられていた

丈高いヒマラヤ杉の横列の頂上部の葉の茂りが

顔をのぞかせているのだった。

そのなにもない教室で、

おれと、

テルちゃん、

トッちゃんの

三人は、

なにをするでもなく、

よくそこで時をすごした。

 

 

 

 

 

トッちゃんは、

塗物町へ台湾から越して来た、色の黒い、背の高い子だった。

塗物町の、そのあたりの家とおなじような造りの平屋から、

しばらくして上高額の、きれいな新築のニ階建ての白い家へ

越していった。

テルちゃんはおれと同じ末広町に住んでいたので、

二人で自転車をこいで

上高までいくのだった。

 

 

 

行作の、

田付川の土手べりの道を行った。

喜多方一中を右手の下に見ながら、

豊川の方へすこし行くと、

左手に、

小さな木の橋が

見えてくるのだった。

後年にやってくる何十年ぶりかの台風で

増水した川水に押し流されるその橋は、

防水と防腐のためか、

全身にコールタールが塗りたくられて

黒ずんでいて、

晴れた日には灼けた炭のような匂いがするのだった。

いつかむかしにその橋で、

恋に破れた女高生がその橋の木組みに首をくくった噺から、

その橋は、

「首吊り橋」

と呼ばれていた。

首吊り橋の下の瀬には、

真冬の雪にも青々としている川草の長い葉が茂っていて、

その橋を渡ると、

雄国山のふところが真正面に控える、

上高の

広大な田の地域が

ひらけてくるのだった。

 

 

 

橋を渡りきった先の土手に立つと、

会津盆地のぐるりを取り囲んでいる山系の

東側の山面が

ほぼ一望に見渡せるのだった。

真正面に見えるのが雄国山で、

その背後には裏磐梯の高原があり、

檜原湖があった。

立ったところからみて右手の奥の方、

会津若松の方に、

その雄国の山裾から顔を覗かせるようにして、

磐梯山が蒼くたたずんでいた。

磐梯山から南下すれば猪苗代湖と、その山系がまたひろがっているのである。

喜多方のちいさな市街は、

この雄国山の棚のふところに抱かれるようにしてあって、

橋のたもとに立つと、

正面にむかいあっている雄国のすがたに

その思いをあらためてつよくするのだった。

若松の手前まで長い稜線をひいているその雄国のすがたは、

嶮しさよりも、どこかのんびりとしたひとなつこいような、

やさしいすがたとして目に写るのだった。

市街に面した雄国の西斜面はなだらかな勾配をなしていて、

日当たりのよさを利用して

水田が段をなして並んでいた。

塗物町の、やがて不良になってゆく

面だちのすずしいサタケ君と、

いちど自転車をこいで

その斜面の熊倉にあるサタケ君のおばあさんの家にいったことがあった。

田の間を、

えんえんと登ってゆく上り坂を行くと、

斜面のなかほどに田にとりつくようにその古い家はあり、

汗かいてたどり着くと、

サタケ君のおばあさんは

冷えたサイダーと、

茹でたての枝豆と、

庭に生えていた茱萸の紅色の実を洗って

出してくれたのである。

喜多方の枝豆は、ほかに見ないほど旨かった。

喜多方から東京へ嫁ぐことになった

ある女性が、その味と別れるのがいやで、

家の枝豆の株をわけてもらい先で食おうと植えたが、

まったく貧相な味のものしかできなかったという話を

ツノダ君の母親がしていたが、

それほどに旨いのである。

茹であげたばかりのほくほくのところに塩を散らしたその枝豆は

やはり、うまかった。

茱萸の味は、忘れてしまった。

農家の軒端で枝豆と茱萸を食い、サイダーを干して、

表へ出ると、

眼下に

夏の、凪いだ光のなかで、

喜多方の町並みがひろがっていた。

ところどころの屋根が陽を反射して光っていた。

あれはどこだ、あいつの家はどこだ、

学校はどこだ、

などとその様子を指差して話して、

田の匂いのなか、

サタケ君と、べつになにをするでもなく、

そのあたりの斜面をほっついてから、

今度は山の斜面をとほうもないスピードで

まっしぐらに駆け下りていった。

それが目的だった。

怖いぐらいのスピードで駆け下りていった。

ごうごうと風が飛び込んできた。

風が口のなかに飛び込んで口を開けると口腔が膨らんだ。

車通りが絶えてなく、

速度は下りてゆくほどに増してゆくばかりだった。

根が臆病なじぶんは、

それ以上の速度におびえて

自転車のブレーキを始終うすく握って離せなかったが、

その先をサタケ君はブレーキもせずに突っ切って、

憑かれたように飛ばして駆け下りていった。

 

 

上高の、

橋もとから下る、

整然とひろがる田と田の間をゆく

鋪装されたゆるい下り坂を、

キヨちゃんとふたりことばもなく、

夏の水田の匂いを嗅いで、

まっすぐゆくのだった。

トッチャンの家へゆくのだった。

屋敷免と豊川の一井までの二キロほどの距離を

一直線に通っている道路をわたり、しばらくゆくと、

こんもりとした木立があらわれるのだった。

名のわからぬ喬木のなかに、

おおきな柿の木が生い茂るその雑木林で道はふた手にわかれ、

その分岐に、

雨ざらしになって、

目鼻もおぼろにしか判らなくなった苔むしたちいさな道祖神と、

なにかの地蔵が二三置かれていて、

その元にみかんや空になった日本酒のカップに

雨露が溜まっているのを

通り過ぎる時に目にするのだった。

分かれた道の左側へゆくと、

その雑木林は右手に続いていて、

茂りが濃くなっていた。

夏の昼でも、

その木立の奥は

闇になっていた。

 

 

「あそこ、」

「なにがあんだべな」

テルちゃんが言った。

「いってみっぺ。」

トッちゃんが言った。

 

 

 

鋪装された道に自転車を停めて、

稲のそよいでいるちいさな水田の畦へはいり、

渡り、

見上げるほどの杉の木立のくらがりに入った。

茂る草を掻き分けてゆくと、

唐突に、

左手の足下に一抱えほどの穴があり、

たまった黒い汚水が木立の間からのぞく空をしらじらと映していた。

「池だ。」

「池、か?」

三人で、

おそらく、

昔の肥溜だったのであろう、しかしその時にはわからなかった、

音のしない暗がりにひっそりと光る池の水面を、眺めた。

トッちゃんが、

あちこちを物色しはじめた。

折れた、長い木の枝があった。

その木の枝を取って、

そのぬかるみに差し入れたのだが、

「おお」

そのぬかるみは苦もなく

その木の枝を呑み込んだのだった。

「すげえ」

「底なしぬま、だ。」

そんな風に、あたりにあるめぼしい枝を取ってきては

だんだんに長さをましてゆく枝を次々と、

その水のなかに差し入れる。

しかし

その底を探ることはできなかった。

三人で、その不思議をよろこんだ。

次から次へと飽かずそんなことをしばらく続け、

すこし飽いて、

もう少し先へ薮を分けてゆくと、

いきなり、

漆喰の崩落した二階建ての古民家が出現した。

三人で

声をうしなった。

 

 

古民家があらわれて、その中を扉をひらいて、

それから入ってゆく、のだったらまたちがっただろうが、

なにがあったのか、

その古民家は巨大な熊の爪でもって引き掻かれたように、

家屋の外面ががばりと無くなって、

その内容物が露出していた。

声をなくしたままちかよって見ると、

かつてこの家にくらしたひとへ宛てた

筆跡の読めぬおびただしい数の古い手紙が、

小さな木の棚から雨露にもそうおかされずに散々にちらばり、

布団や、

鉄瓶、

食器やらが、

もはや数えることもできないほどの、

無数の生活のこまごまとしたもの、

しかもくずれかけているものに紛れて、

転がっているのだった。

目を上げると、

藁葺きの二階部分がのしかかるように傾むいていて、

無骨な木の梁が飛び出していた。

店の物を盗むことには

そのスリルを愉しむ向きのあった

おれたちだったが、

その梁の奥に広がっていた闇には怖じ気付いて、

それ以上の探索をできなかった。

ただ、

「あ、竹の棒がある。」

テルちゃんが、

脇に転がっていた竹の、なにに使うのか、

3メートルほどの伐り出しを見つけ、

ずるずると引き出すと、

「よし、沼にいれっぺえ。」

とトッちゃんはまたぞろ言うのだった。

三人で、

ずるずると竹の棒を曵いてきて、

ぬかるみのふちまで運んできて、

ばらばらと落ちてくる

竹に付着した泥のかわいた土を気にせず、

ゆっくりと立てていった。

トッちゃんが、

和船を漕ぐ時のように棒にからだを預けると、

竹の節に入っていた空気が

汚れ水の中で気泡をたてて上がり、水面に湧いてきて、

みるみる竹は引き込まれ、

すべて

呑み込まれたのだった。

「す、すげえ。」

「ぜんぶ」

「はいった。」

トッちゃんは、

よろこんだ。

 

 

 

 

鋪装された道にもどって、

その廃屋を右手に立つと、

左手には、

やはり田がひろびろとひろがっていて、

先のほうの小高くなったところに豪壮な赤松の茂る林が見えた。

喜多方の警察署の裏手に当たるその木立は、

菅原道真を祭った菅原神社だった。

学問の神社であるその神社で、

三人で

漫画の猥本を買って、よく読みふけった。

 

 

 

上高を走る国道121号は、

山形県の米沢、会津若松をぬけて、

福島県南部の田島町をむすぶ幹線道路だった。

明治の15年、

この道路をつくるに際して、

当時の県令の三島某が、

喜多方の近在の農家に無理な労役を負担させ、

その県令への反発から自由民権運動の火種となった道路だった。

しかし当時のわれわれはそんなことは知らず、

そのころにはただただ痩せて乾いた道路としか見えなかった。

この121号ぞいにある警察署の

すぐわきに、

ちいさな商店があった。

名前は、もう思いだせないが、

121号からそれてこの店の前に来ると、

店の軒先に二つある白い棚に、

鞘豌豆や茄子、

胡瓜、トマトといった

家庭栽培用の野菜の種がはがきほどのおおきさの袋に入れられて並べてあった。

その脇に、

雑誌を売る棚が並んでいて、

『コットン』やら『ペンギンクラブ』やらの

漫画の猥本が紛れていた。

ひとがあまり訪れないこともあって、

三人でその店で猥本を買うのだった。

秋には脇にすすきのゆれている

角のとれていない石砂利敷き詰められた店前の駐車場を踏んで、

暗い土間に入ると、

左手にたばこ棚があり、

そう年のいっていないおばさんがいて、

右手に一台アーケードゲームが

あった。

それは『源平討魔伝』だった。

他のゲームには見られないほど丹誠に創られていた、

地獄から甦った平影清が、

鎌倉の頼朝をさして復讐の旅に出る、

というそのゲームを、これも飽かずにやった。

小遣いは、

その時、たしか一週に100円だった。

源平は、

一回に100円取るのである。

おれには

一回しか出来ないはずだったが、

そのころおれは、

飽かずやることのできるくらいの、

それ以上の小金はもっていた。

家に、

『50万円貯まる貯金箱』

と白く大々的に印刷された真っ黒い丸い缶の貯金箱があった。

500円玉を専用に入れる物だった。

『100万円貯まる貯金箱』、

という白い、より大きなやつのと合わせて、

いつしか父が買ってきた物だった。

いつ金をいれているのか知れないが、

父の取材中の留守にその缶を持って振ると、

少なくない貨幣が入っている音がするのだった。

その平ベったい貨幣を入れる投入口に、

食用のナイフを差し入れて、

ナイフの面に500円玉を乗せて、

ゆっくり引き出すと、

硬貨が出てくるのだった。

すべて取って、

缶を空にしては怪しまれる、

だいたい4、5枚を残すようにして引き出すのだった。

父が、

心待ちにしていた50万円が貯まる日は、

ついに訪れなかった。

トッちゃんやテルちゃんが

そんなことをしていた訳ではなかったが、

おれには、

あまりにお金がなかった。

そうして盗んできた

お金を

源平と、

漫画の猥本につぎこむのだった。

 

ゲームをした後、

買った猥本を手に、

こみあげる衝動に突き上げられながら、

裏手の菅原神社にむかった。

 

自分たちは、

小学6年の頃にはだいたい手淫を覚えていて、

日毎に勃興する衝動を抑える発想すらなかった。

そのころのおれたちは、

多分歩き過ぎたそのうしろに

精液の匂いを残していたのではないだろうか。

手淫ばかりしていた。

手淫するか、ゲームするか、盗むか、悪さをするか、遊ぶか、

サッカーするか。

そのころの自分の行動はその範囲をでなかった。

キヨちゃんも、トッチャンも大差なかった。

決心の末、

三人ではじめて買った

猥本を神社で眺めて、

それから、

杉の居並ぶ根元にどくだみの白い花のさく、

うすぐらい裏手に回った。

神社の裏の庫裡の下は、

乾いたふとい木の格子になっていて、

おれたちは、

どうにかこうにか、

その格子をすり抜けることができたのだった。

格子の中には、

なにか黒いおおきなものがあったが、

それが何なのか分からなかった。

わからないままその脇をすりぬけて、

その空間に買った猥本を隠すことにした。

最初は、

数も少なかったのだが、

思春期の中心に向かうに連れて

欲も亢進し、本の数も増えて、

いつしか

けっこうな数になっていったのだった。

 

たいてい夕どきだった。

三人で、

神社の裏にかがんで、

空へと伸び上がった赤松のした、

風に吹かれながら猥本に見入っていた。

さまざまな関係のすえに

さまざまにまぐわう

男女の春画を、

息をつめて、

見詰めていた。