「顔 No.1」

740×920mm
2001
 

 

顔を描こう、とは思ってもいなかった。

紋様が人の頭らしくなり、目がひらいた。

口はなかった。

 

 

神奈川の横須賀から会津、喜多方へ越してきたのは

幼稚園の年少さんの途中だった。

 

一女のある家庭をもっていた父が、東京の読売新聞社本社で

アルバイトで働いていた母とつきあいはじめた。

そのとき母にも家庭があったのだが、

政治部の国会詰めの記者だっただんなさんは

若くして

植物状態になり、亡くなっていた。

20代のすべてを、

その亡くなっただんなさんの看病に過ごした末、

残された幼い義兄を育てるために、母は働いていたのだった。

父はもともとは正社員でなかった。

父は、みずからの父の顔を知らなかった。

四国の愛媛三亀で、

母と二人で召し使いに取り囲まれた奇妙な暮らしをしていた。

父だけが、ミヤタ姓ではなく、壷井姓を名乗っていた。

東京の大学を出て、捜しだしてみて、はじめて会った父の父は、

大戦時に、

右翼の青年部の関西支部長をしていたという右翼だった。

後年、どこかで人知れず野垂れ死にすることになる

その父に就職の相談をし、

父は読売新聞にアルバイトで入った。

それから、時を経て正社員になった。

 

不倫、関係にあった母と結婚することを社に伝えると、

父は、

その場で、

辞職か、

左遷か、

どちらかを選べ、といわれた。

父は、左遷を選び、

まず、神奈川の横須賀へ、

そして喜多方へ向かわされた。

当時の喜多方は人口およそ4万だった。

 

 

会津全域を30代の父と、

定年まぎわの50代のおっさんの二人で受け持ち、

おっさんは動かず、もっぱら会津若松を取材し、

残った会津の全域を父はひとりで取材にかけずりまわるのだった。

「豪雪の只見から、飯豊山の麓まで。」

母はそう言っていた。

夜中に消防車のサイレンを聞くと、

父は跳ね起きて、

取材にゆく。

真冬、

降り積む雪に凍結した山間の只見川べりなど、

寝起きの運転で行き来できるものではなく、

まして八方を山に塞がれた地方である、

後に免許をとって銀色のスバル社の四輪駆動車を買うが、

冬の夜の取材の足には、結局はタクシーばかり使っていた。

その額はあまりにも多すぎ、会社に経費として計上してももらえず、

稼いだはずの給料は、膨大なタクシー代に

なって吹っとんでゆくのだった。

母の前のだんなさんが亡くなって振り込まれた

退職金、180万ほどは、

数年で使い果たした。

メールも、ファックスもなかった。

何時に事件があろうが、16時のクロネコヤマトの宅急便に

写真と、原稿を渡さねば、

翌日の新聞に空白ができるのである。

父はそうして撮った白黒のネガを

玄関にこしらえた

現像液の酸いにおいのただよう暗室で

写真にして、

言葉をつけ、封に入れていた。

16時ころになると、

記事の配達に遅れぬよう、

締め切りに追われながら火宅の相で

父と母は狂奔していた。

後に越すことになる末広町の、ねずみとイタチの出る台所で

母が雑巾をかけながら憑かれたようにひとり言を

吐きつづけているのに気付くのは

俺が小学生の高学年になるころのことである。

 

 

 

横須賀から喜多方に越してきた初日、

タクシーに乗り、

落合から中央商店街へ左に曲がってゆく右の角に、

象牙色の三階建てくらいの建物が見えた。

子供心にデパートだろう、と思った。

道を左へ。

アーケードのある商店街がはじまりはじめる。

はじめてみる喜多方は、ずいぶんと、栄えているな、と思った。

横須賀にはアーケードがなかった。

 

越してきた初日に、

おれは迷子になったのだった。

花園町の、平屋の家に着いて、ぶらぶらそのあたりを歩いてみるうち、

家がどこにあるのかわからなくなった。

似たような家ばかりで、どれがうちなのか、まるでわからない。

結局、適当な、知らぬ人の家へ泣きながら入って、

「うちがわからない」

といったのだった。

その家には、娘さんとそのお母さまがいて、

「どうしたの。」

と訊いた。

「どこから来たの」

「うらが」

「うらが?浦和じゃないの?」

「うらが。」

そんなやりとりをした。

とにかく、浦賀を、どうしても分かってもらえなかった。

結局、警察のひとにつれられて、家に戻ったのだった。

どうやって戻ったのか、覚えていない。

 

その迷ったことを自覚する前のぶらぶらしている時、

経壇公園を囲む桜の木の下で、

一人の男の子に会った。

寄り目の、いたちのような子だった。

後年、中学を迎えるころには

祭りの夜店で墨の入った

おにいさんの手伝いをしていたその子に、

おもむろに

「おれ、きょうひっこしてきたんだ。ともだちになろう。」

といってみた。

少年は、

突然あらわれた河童のこどもに道を訊ねられたように、

どこか面喰らいつつ、

「ああ。」

と言ったのだったか。

それから二人で歩き始めた。

初夏の水田の脇で

少年はだしぬけに

「おめどっからきたの」

言葉を発した。

「え?」

なにを言っているのかわからない。

会津弁だった。

「おめえはあ」

「どっから」

「きたのお?」

ようやく、わかった。

「うらが。」

「うらが?しんねえ。」

とにかく、会津のことばは、今までのことばとは違った。

その節回しが新鮮で、魅力的だった。

ぶらぶらしながら

「こっちのことばって、いいね。

なんかおもしろいことばおしえてよ。」

といったら、

すこし考えてから

「『ばっこ』。」

といった。

「『ばっこ』。どういういみ?」

「うんこ。うんこのこと、ばっこつーだ。」

「へええ。『ばっこ。』っていうんだ。」

「ばっこ。」

「ばっこー。ばっこ、ばあっこ−。」

少年はおかしな節で歌うのだった。

そんなふうに

だらけた陽の差す白い道をしばらく歩いて、

そのおかしな少年と別れると、

家がわからなくなっていたのである。

 

母に言わせると、

幼稚園の入り口まで送られた俺は、

なかから「あきらちゃん。」と誰かが呼んでくれるまで、

なかに入ることをためらうこどもだったそうだ。

中川原の田付川沿いにあった幼稚園はいずみ幼稚園、といい、

クリスマスにはキリスト生誕の寸劇を皆でやる

プロテスタント系の幼稚園だった。

木造の教会を幼稚園にしていた。

川沿いに来るときに見えてくる水色の教会はなかなかに風情があった。

その教会で、

執拗に、

いじめられた。

 

家に定まった信仰があったわけでもなく、

なにかと手を組み合わせて祈るのがよくわからなかった。

昼食が終わると、

イワハシ君は寄ってくる。

二人きりで、

紅のじゅうたんの敷き詰められた祭壇の端で、

イワハシ君は蟻の巣を前に、

出てくる蟻を一匹一匹愉快で殺すように、

よくわからないことばで、俺をなじるのだった。

執拗に、執拗に。

毎日。

「おめえなんでそんな髪してんの」

「おめえなんで「じゃん」ていうの」

「おめえなんでへんにしゃべんの」

「おめえなんでおんなみてえなの」

「おめえばかじゃねえの」

イワハシ君の前で、毎日泣いていた。

イワハシ君だけではなく、そこここに地雷があって、

なにげないことでその地雷に触れると、

善良そうな集団にも、しぶとくいじめられるのだった。

寄り目の少年とは、それきり会うことがなかった。

二三、距離が近くなった友もいたが、

なにか、どこか虚ろな距離を感じていた。

だれとも親密になれなかった。

 

いずみ幼稚園をでた生徒は

ほとんどが幼稚園から

川向こうに見える第一小学校にゆくのだった。

いずみ幼稚園から二小にいったのは、

花園町から末広町へと引越した俺と、

あとひとりのおんなのこだけだった。

 

末広町には、何人か同級生がいた。

その一人がテルちゃんで、

俺と同じ一年四組だった。

俺の生まれてはじめての友だちだった。

春園、というちいさな中華料理屋の子だった。

おれの言葉や、格好にも、

別にうるさいことも言わず、

春園の前の雑貨屋でチョコ菓子のセコイヤをかっぱらうくらいの

てきどに悪い子だった。

二の腕が太く、髪がまっすぐで、歯並びがわるかった。

どうやって、友だちになったのか思い出せないが、

おれとテルちゃん、そして後に加わるトっちゃんは

いつも一緒だった。

 

「よーしてえるくーん。」

手まり歌のような節と音階をつけて、

友だちの玄関で来訪を告げるのが、このまちの習わしで、

朝、7時半ころ、春園の扉をあけて呼ばわると、

中華料理店の油の匂いがした。

入って右手のカウンター越しの厨房で

テルちゃんのお父さんはたいてい仕込みをしていて

「よしてるー。」

と呼ばわるのだった。

正面の奥の部屋でおばさんがたいていお経を唱えていた。

左手におおきな鏡があった。

正面の土間と、上がり席との境の頭上に

時計があった。

しばらくして出てくるテルちゃんと、

夏も冬も、

おれは二小に通った。

 

テルちゃんには、幼馴染みがいた。

ヒロさんといった。

学校の帰り、

いつまでも続くようにおもわれる

午後のだれた陽のもと、

二小へゆく途中に通る沢の免のカワイ家の前で

はじめてあうヒロさんは、

なぜかしゃがんでいた。

しぶいようなつらいようなしかめ面をしている。

ヒロさんはおなかが悪くて、「出て」しまうと

しゃがむのだ、とテルちゃんはいった。

すこしにおっていた。

テルちゃんはさして、そのことを気にしていないふうだった。

ふしぎな気がした。

ヒロさんがそんななので、遊ぶのも

もっぱらヒロさんの家の近くなのだった。

沢の免には、商店街に面して、

ライオンド−という二階建てのスーパーがあった。

そのころそのようなまとまった食料品店は

そのライオンド−と、

あと生協くらいだった。

越してきた初日にみた象牙色の建物は、

デパートでなく、テナントのない廃屋だった。

デパートは、会津若松まで出なければなかった。

あたらしいライオンド−ができて、

沢の免のライオンド−はその比較で

古いライオンド−、とよばれていた。

一階に生鮮食品売り場がある

そのライオンド−の二階に

充実したゲームセンターがあった。

三人でそこへゆくか、

蔵を改造したヒロさんの家にゆき、

シャープペンの芯を長く出して、

「お注射しましょうね。」

などと出し抜けに腕に芯を突き立ててくるヒロさんの

あやしげな姉さんと遊ぶか、

なんとなく、ぶらぶらしていた。

ゲームセンターにゆくと、

おれは二人がゲームをするのをほとんど見ていた。

おれの小遣いは、

小学校三年になってはじめて週70円もらうことになるのだった。

一日10円換算である。

そのころは、30円くらいしかもっていなかった。

一回50円のヴィデオゲームはできず、

10円玉をてっぺんの端からいれて、

各段の端に開いた穴に呑み込まれないように

右から左、左から右へとバーの叩きぐあいを調整しながら、

下の出口まで転がし、

運がよければ、

入れた10円がそのまま出て戻ってくる、という

そうとうにしみたれたゲームしかできなかった。

二人がエグゼトエグゼスやらテラクレスタやらの

派手やかなヴィデオゲームをしているのを、

つまらなく脇にかじりついて見ていた。

そんなこんなで、ときどきにしかゲームはせず、

三人でぶらぶらしていた。

 

冬になると2メートルくらいの巨大なつららを作る排水溝のある

ライオンド−の暗い脇を通り、

裏の駐車場の脇の石まじりの小径を右へ曲がる。

ちいさな祠のある、杉の植わった狭い畑を右手に見ながらゆくと、

カワイ家の蔵が3棟あった。

その倉の脇をぬけて、

左へ。

カワイ家の家の前を迂回して左に曲がると、

右手に4、5台ほどの駐車場があった。

そのまままっすぐゆき、道をわたってゆくと二小。

その駐車場の小道を挟んだところにブロック塀があり、

夏には塀の向こうの畑に咲くピンクの芙蓉の花が

幾本もそこからのぞいていた。

ヒロさんの家のすぐそばのそこで、

よく遊んだ。

 

あれは、夏の日の午後。

その日、おれ、テルちゃん、ヒロさんは

カワイ家の蔵の前で話していた。

蝉がないていた。

蔵はたいてい開け放たれ、

中は小暗く、まわりよりいちだん空気がつめたかった。

穀物と漆喰の酸いような匂いが中からする。

うすい碧色の石灰質の石が積まれた壁にもたれながら、話していた。

何を話していたのか、

思い出せない。

カワイのひとも、みずからの敷地が

登下校につかわれているので、

蔵のある方をあまり見にこないのだった。

盆地の夏は、暑い。

東京の夏とはちがって、ぬけるように暑い。

一夏で、外で遊ぶ子は、蟻のように真っ黒に日焼けするのだった。

とにかく、三人でいた。

雷が、

とおくで鳴った。

それまで、にぶくうすくたれこめた曇天だった。

夕立ちの気配がただよいはじめる。

雲がうごきはじめ、黄色くなってくる。

「あめふりそじゃねえ」

だれかが言った。

また、雷。

空の上で巨大なローラーがひきずられているような音声が

空のはしばしをめぐりはじめる。

雷がちかくなってきている。

黒さをました雲がうねりうねりして大気が密度をましてくる。

おれたちは小暗い蔵の中にはいって

そんな空を無心にみていた。

荒れる空。

みんな、うきうきしている。

どうしようもなく。

雷。

しかし、

なかなか、

雨がこない。

 

「ふんねえ。」

「な。ぜんぜんあめふんねえ。」

「なあ。」

「つまんね。」

「なあ。」

「うん。」

蔵の入り口で

われわれは空に対して不満をもらしはじめたのだった。

空はとぐろをまくばかりで、

おれたちは爆撃のような雨を期待している。

「『ふれるもんならふってみろ』ていってみねえか。」

誰が言い出したのだったか。

「それでほんとにふったりしてな。」

「あはは。」

蔵のにおいがする。

蝉が鳴いている。

「いってみっぺ。」

蔵の入り口に、

三人で、

横に、

並んだ。

「降れるものなら」

「降って」

「みろ」

叫ぶや、

ぼた、ぼたたたッ。

親指ほどの黒い雨の粒が落ちてきたかと思うと、

空の底板が割れたかのような大雨が

どどと降りはじめた。

おれたちを、めがけて降ってきた。

ように、思えた。

あはははは。

あはははは。

あはははは。

狂躁の態で、

おれたちは、

しぶく雨の中に

おどりこんだ。