連作祭壇画無主物
『原発事故避難 残酷な対比三 屋内退避地域』
(二〇一六年七月)
『3月15日(火)
・11:00 20q以上30q圏内を屋内退避地域に指定
・13:00 避難エリアの拡大により30q圏内に進入し ないよう、国土交通省から全ト協に指示があり、
以降、
同圏内への輸送依頼はされなかった』
(全日本トラック協会公表資料から)
NHK制作のドキュメンタリ映像がある。
『原発避難7日間の記録〜福島で何が起きていたのか〜』。
そこには原発事故発生後からの避難、ひとの動きについて主として浪 江町と南相馬市で発生していた出来事が記録されている。
そこで明るみ になるのが、
『屋内退避』地域の危険性。
上にあげた資料は全日本トラッ ク協会が震災の対応についてまとめた報告書からの抜粋で、
読んでいた だくとわかるが、
政府により屋内退避地域指定が下りると、
国交省は全ト 協に対してその場所への輸送依頼を止めていたことがわかる。
ドキュメンタリの映像では、
あるトラック会社の人間が出て来て、
当 時国交省から出された通達の紙を見せるシーンが出てくる。
屋内退避の 必要性があるということは相応の放射能汚染があるということを意味し、
国としては民間のトラック事業会社にその場所への交通を要請すること はできなくなる。
したがって、
そこへの交通を控える旨指示を下してい たのだった。
つまりは、
屋内退避指示が下された区域は、物流が途絶えるというこ とを意味する。
事故当時は三月初旬。
まだまだ冬の寒さの残る南相馬市はこの区域に設定されてしまう。
規制がかけられ物流が途絶えた南相馬市は酷寒のなか、
家屋に閉じこ もることをまずは余儀なくされる。
繰り返すようだが、屋内に退避する 必要があるということは、放射性物質がやってきているということ。
住 民はエアコンを使用できない。
この状況で南相馬市長の桜井氏がインター ネット中継を通じて救助を訴える。
自衛隊に救助を求めるが応じてくれ ない。
屋内退避、が国からの指示だったから。
桜井市長はこれ以上の退避は無理と判断、自主的にバスで避難してゆく。
だが、ここでもまた冷酷な峻別が生じてしまう。
ねたきりの人間、足が不自由な人間はバスに乗れず、
こどもに障害が ある家族は避難先での生活は困難だった。
こうして取り残された者たちのうち、
三月中に五名が亡くなったこと をこのドキュメンタリ映像は伝えている。
人の居なくなった町に、
静かに取り残されていった病床の人間、分かっ ていながらもバスを見送ったひとびと。