連作祭壇画無主物
『土中魚 ー農地除染としての表土剥ぎ取りー』

(二〇一六年五月から制作、完成)
 

  「(元農家の男性)何代も続いたね、農家だって、一瞬にし てすべてを喪うわけですからね。

だからそんなちょっとした はした金で、解決できる問題じゃないですけ。

長年かかって ねえ?

土地作って…、ねえ?作物作れるようになって、」

  「(元農家の女性)これだけきびしい気象条件乗り越えてね え?」

  「(元農家の男性)その良い部分をこんど」

  「(元農家の女性)とっちゃうんだからね」

  「(元農家の男性)良い所をはぎとってー 。

だからその、土 作りが”百姓だからねえ」

「(元農家の女性)そうだねえ。1センチ作るのに100年 だって言われるぐらいのねえ?」
(川俣地区の元農家のふたり二〇一六年四月)

 


チェルノブイリ事故後、

一帯にばらまかれた放射性物質をいかに除去す るか、

さまざまな試みがなされた。

一九八六年のこの事故から二〇年が経つわけだが、

この間にその試みの効果と効率について彼の地の専門家たちによる一定の検証結果がすで にもたらされている。

 

汚染された農地の、汚染された表層をはぎとる除染方法は

土壌の肥沃度、生態系の変化にマイナスの効果をもたらすこと から除染方法としては適さない、

 

これが彼らの辿りついた結論の一つだっ た。

(ウクライナ生命環境科学大学、ウクライナ農業放射線学研究所所長 バレリー・カシパロフ教授講演

二〇一二年一月三〇日   日本機械学会招待講 演より)

 

ただ、日本の環境にあって、東欧の環境に無いものがあった。

稲を育てる、水田である。

食習慣の違いにより、

チェルノブイリ事故 後の教訓から漏れたこの領域に、

日本の専門家たちは新規分野を見つけ たように実証実験を行う。

歪んだ、かたちで。


水田の特徴として、

表層、上澄みに<肥え土>が存在している。

かつて水田のかたちを整備した国の事業では一度取り除いた上澄みを

(農家の言葉では『肥やし土。』『うわずみ。』という。対してそれより下 層の土は『粗土。』)

別の場所に保存し、

整備工事が終わると再度その上 澄みを田にもどしたという。

それはその土の重要度を知っていたからに ほかならない。

先祖代々の手入れと、

時間が作りだした水田の命ともい えるこの上澄みの土。

この土を取り除く表土除去が福島の原発事故後の 除染方法として提案され、

汚染除去に効果のある施策として数は少ないが

(福島の多くの農家たちは土の価値を知っているためにこの方法を選 ばなかった)実行された。

 

(Kawamata district in Fukushima April 2016)

たしかに汚染は除去できる。

だが、水田としては死んでしまうかもしれない―。

復元とは言えない。


日本の農業関係の専門家たちもこの事実に気づいているはずなのだが、

事故後の除染方法の検討ではほぼ口を噤んでいる。

メディアでもこんな 土の概念が実際には存在することは語られたことはない。

上に挙げた発言をした男性は、

二〇一六年の段階で彼が所有していた 田の表土剥ぎ取りを待つ身だった。