「浜風」

1080×920mm

2001

ポストカード化

 

喜多方第二小学校に入学したのを機に、

家は末広町にうつった。

末広町のその家は駅前通りに面していた。

「読売新聞」の看板がよく見えるところ、

クロネコヤマトの車が直で来れる場所

として、そこに越したのだった。

はじめて、二階のある家にすむことになり、

上にしまえるようになっていた

まっ黒くなったつげかなにかの木の武骨な階段をのぼると、

俺はうきうきした。

風呂場から先は、むかしの木造がそのままになっていて、

長年の越冬の湿気がしみた木はやわらかく黒ずんでいた。

昼間でも小暗い、そのどんづまりに腰の高さくらいの小さな木戸があった。

開けて出ると、

春の光と風があふれていて、

母が、真っ白なシーツを広げ、

すこしはなれたところにしゃがんで兄が脇で土をいじくっていた。

裏には庭のような土地がひらけていた。

後年母はそこの土を耕して

貧相なきゅうりや苺やなすを作り、みなで夕食に食べるのだが、

そのころは乾燥した灰色の痩せた土くれがぼそぼそしていた。

服に刺をのこす紫の雑草が生えるその庭の右手に、

物を干すための舞台のような小振りの木造の台がしつらえてあった。

脇の空き地から痩せこけた柿の木が一本、

後年には朽ちて跡形も無くなるその台に枝を伸ばしていた。

毎年冬になるとその柿は、柿なりに実をつけた。

しぶみが強過ぎて歯ごたえのいい時には食べられるものではなかったが、

冬の雪に埋もれるころまで待つと、

実はどろどろになってくる。

そのじゅくじゅくのやつに妙にひかれて、

幾度か食べてみたことがある。

ゆがみきった甘さで吐きそうになるのだった。

その庭の左手は小さな雑木林になっていた。

その林の向こうに、軒先に電球を吊るした古い木造の平屋があり、

ひとりのおばあさんが住んでいた。

 

裏の庭は、

いけない感じの白紫のへどろによごれたどぶで向こうの土地と仕切られ、

その向こうの土地にこのばあさんの畑があった。

夏の盛り、さくらんぼの実を鳥から守ろうと、

彼女は長い棒をたずさえ、ひとり水筒を脇において日がな木の下に座っていた。

後年俺は学校嫌いで、なんやかやと家にいた。

虫や生き物がすきで、このばあさんの畑に無断で侵入して、

しろすじかみきりやくわがた、かなへびやらをつかまえていた。

それを知っていたのだろう、

ある夏の午後、学校を休んで戸を開けて裏を眺めていると、

おばあさんが玄関から出て来て、

こちらへ来る。

母は、回覧板を回しに行くと、

裏のおばあさんは家のなかの電気をわざと消す、

見られたくないんだわ、

と日頃言っていた。

そのころ直接交渉もなかった

おれには、そのひとは難しい印象しかなく、

叱られるのかな、と思った。

当の老女は、

窓際に来ると、

はじめて聞く声で

「これ、食べっせ。」

言った。

小さなプラスチックに入った紅色のさくらんぼうを差し出す。

水の玉に光っている。

それから

「むし、すきなんだべや。」

もう片方の掌の結びを開くと、

青いカミキリがいた。

瑠璃星カミキリだった。

はじめてみた。

自然の色、というより、西洋のおもちゃのような

マットな、しみるような青い青い色の背に黒い丸が4つ。

触角は青と黒の縞。

これが自然のものなのか、そう思った。

目を見開いたおれの手のひらに載せてくれる。

かみきりはキチキチ、キチキチ、と触覚をゆらして啼くのだった。

突然の来訪と

じぶんにくれたものの血の通った良さに心臓を気押されて

しばらくなにも言えなかったが、

「ありがとう。また、なんか、見つけたら、おしえて。」

とようやく言葉を探して言ったのだが、

その言葉がなにか癪だったのか、

彼女との交流はそれきりだった。

そうなることも知らず、

じぶんは彼女が背中を見せて去っていった後、

さくらんぼうを食べた。

こころよい酸味をまとったあまいあまいさくらんぼうだった。

瑠璃星カミキリは、

弱っていたのか、

翌日の朝虫カゴをのぞくと死んでいた。

しかし亡骸のその姿もあまりにうつくしく、

朽ちるまで、

宝物を入れる缶に蔵った。

朽ちて、腹がやぶけ、翅が外れして、

ようやく、おれは裏の柿の木の下に埋ずめた。

 

後年、喜多方に友人の結婚式で呼ばれた。

十年ぶりくらいだった。

何年ぶりかの台風がきて、首吊り橋を流した夏だった。

末広町に行ってみた。

住んでいた家はなくなっていた。

新築の家が出来て、区画ごと変わっていた。

裏の老女の家も、なくなっていた。

あいまいな藪も、

彼女がみまもっていた樹も、

畑も、失せていた。

結局、彼女の名も覚えていないのだった。

ただ、裏庭の痩せこけた柿の木が一本

昔とかわらない姿で

立っていた。

 

近寄って、

固い木片におおわれた

痩せた幹をなでた。

十年前とかわらない、木肌をしていた。