「月夜;猫の死んだ七月」

1300×1830mm×3枚

2005

その猫は、夜の駒沢の環状七号線に捨てられていたのだった。

友人とラーメンを食べにいったのだが、どこからか子猫の声がする。

耳をこらすと、その声は車通りの多い道路からしている。

声の方を見てみると、車が行き来するばかりでなにもない、ように見えた。

が、いた。

道路のまん中に黒い子猫が置かれているのだった。

ちょうど、車の両輪の間の、走る車の真下にくるような位置に、

わざわざ置かれて、車が通り過ぎる度に、見えたり、隠れたりしていた。

車線変更する車があったら、ひかれるのだった。

車を停めさせて、その猫を拾った。

左の手のひらにほっこりのるくらいの大きさで、目もあいていない仔猫だった。

真っ黒だった。

たかい声でないていた。

動物病院にもっていったが、断られ、三軒目の病院がひきとってくれ、

離乳期まで無料で面倒を見てくれ、里親をさがしてくれることになった。

里親はつかず、結局、実家で飼うことになった。

名は、黒いので、クロ。

クロがそだって、人でいうなら小学校2年ぐらいの時だった。

実家にいると、外で子猫がないているのが、聞こえた。

その声はとおくなったり、ちかくなったりする。

一番近付いた時、外にでて、声のするほうにゆくと、

茶色い子猫がいた。

小学校二年くらいに見えて、どら声なのだった。

「はら、へった。はらが」

とないているので、

缶詰めをやるとばくばくと食べるのだった。

牛乳ものんで、

「こっちこい」

と玄関をあけると、すっと、入ってきた。

入ってきて、クロと会った。

鼻を寄せて、二度三度くんくん匂いを嗅ぎあって、それだけなのだった。

その日から居着いてしまった。

茶色なので、チャーボ、となづけた。

二匹は意気投合したらしく、ウーハーをはずしたスピーカーにあいた空間に

ひと固まりになってねた。

クロが、家の中を突拍子もない勢いで突っ走る。

チャーボが追っかける。

そのままの勢いで二人は壁に張り付いて、

二匹で立て並びでぐいぐいよじのぼり、2mちかいところまでゆくと、

ふと、一瞬静止し、

ぼたっと落ちて、

また駆け出す、というようなことをひがなしていた。

二匹で一匹の雌の尻を追っているのに出くわしたこともあった。

長ずるに連れて、頑健なチャーボは、外回り、縄張り管理をしていた。

クロは、やせっぽちで、小さいころのことがあるのか、ストレス性の口内炎になり、

家で寝ているのが多くなった。

おとなになると、二人では寝ないのだった。

会うと触れると、もめていた。

チャーボは、いままでみたことがないくらい快活で、人なつこい猫だった。

外から帰ると、だー、だー、と自分の帰還を大声で知らせて、

親愛の情からか、ごつん、と頭付きをしてくるのだった。

クロは変わっていた。

なにかあると二足でたって、手でなにかしようとするのだった。

チャーボ不在で外部の猫が来た時、クロは立って威嚇するのだった。

また、なぜか、人の顔には決して爪をたてなかった。

じゃれていたのが、興奮が昂まって本気でかみつく、というようなことがよくあって、

よく怪我させられたが、黒い猿のような手のひらを

顔にあてると、気が立っていても、爪はひっこめるのだった。

意外なところで気をつかう、というような感じだった。

 

2004年、7月にチャーボが白血病で死んで、おれは夏の玉川へ石を拾いにいった。

さんざん吟味して、茶色のまるい石を見つけて、持ち帰った。

その石を庭のつばきの下の墓に据えた。

追うように、クロも死んだ。

理由はわからなかった。

墓が二つならんだ。

二匹の絵を描こう、と思った。